ゴロニャーン!(頭蓋骨が外れる音)というわけで今日も30日がやってきた。あれ、この言い方は何か変だぞ。今日も、30日が、やって、きた。これでいいか。よくないか。句読点でごまかしただけだ。それもいいでしょう、いいでしょう。茶でも飲んで、骨でも溶かしていきなっせえ。
一昨日の日記で「焚き火でもするか」みたいなことを書いて、ふざけているのだなと思われたかもしれないが、昨日はほんとに焚き火をしていた。焚き火セットみたいのが家にあるのである。それをもって川原へ行き、一人でぼーぼーと薪を燃やしてきた。燃えるとあれである、煙と匂いが出る。気分はお正月の「どんど焼き」だ。いきなり新年感である。各地の神社にいる誰もしらない爺の顔が浮かぶ。お札が燃える。
上級者になったらマシュマロなどを焼きたいですが、まだそこまでの技倆はないので、火を見ながら菓子パンを食べていました。それでも楽しかったですが。しばらく本を読んで帰る。ゲラをやろうとも思ったけど、机もないしWi-Fiもないしできる状況ではなかった。まあいいです、本が少し読めたから。
で昨日は丸一日かけて単著のゲラ確認作業。夜は赤軍派のドキュメンタリーを見る。こういうテレビを見たりするのも春先からまったくできてなかったので、なんだかえらく久しぶりな感じだ。ゲラは4章の終わりまでやったところで寝て、今朝早くに起きて続き。宅急便で平凡社に戻す。
昼から麻布十番に出て荒俣宏氏と慶応愛書家倶楽部主催の「紀田順一郎先生を偲ぶ会」に参加する。紀田氏との出会いについてはあちこちで書いている気もするが、京都の丸善で買った『現代怪奇小説集』(中島河太郎氏との共編)が最初である。立風書房の3000円くらいする本で、当時の私にはなかなか高価だったのだが、えいやっと買ったらこれが人生を変える一冊となった。でそこから日本ホラー小説の深みにはまり、巻末の「日本怪奇小説の流れ」に大きな刺激を受けて、25年以上経って『日本ホラー小説史』をまとめることになるのだから、我ながらしつこいというか、まあそれだけ『現代怪奇小説集』の影響が大きかったということだろう。
ホラー好きにはそれぞれ特別な一冊があり、人によっては『怪奇小説傑作集』であったり『暗黒のメルヘン』だったりするけれども、それが私には『現代怪奇小説集』だったということだ。私がやっているアンソロジー仕事も評論仕事も、すべてこの本の延長線上にあるとずっと思っている。ただ生前の紀田氏には一度もお目にかかる機会がなく(『幽』の海外特集の際などにチャンスはあったのだが)、『日本ホラー小説史』執筆中に訃報に触れて、たいへんショックを受けたのだった。直接教えを受けたわけでもない私が行ってもいいのかなあ、と遠慮する気持ちもあったけれどもお誘いいただいたので参加。会場にはお知り合いのお姿もあちこちに。
紀田氏ゆかりの方々のスピーチを拝聴し、荒俣氏は紀田氏小学6年の時の作文(これがなんと昭和24年に出た本に収録されているのだそう)を朗読されていた。意外だったのがジャストシステム創業者の方のスピーチで、紀田氏が一太郎に関わったということはなんとなく知っていたけれども、ここまでコンピュータでの日本語入力のために尽力されていたとは初めて知りました。私はATOKユーザーなので、普段こうしてパソコンで文章を打っている時点で、日々紀田氏の恩恵を受けていることになる。「パソコンやタブレットを使うたびに、紀田先生のことを思い出してください」と創業者の方はスピーチされていて、とても感動的であった。あとは東京創元社戸川安宣氏、北原尚彦氏など。
(会場には紀田氏の著作や記事が並べられていた。色紙には「偶然と暗合」)
その後、同じビル内での懇親会でいろんな方とお話。主に怪奇幻想方面の方々とお話ししたが、それ以外の分野のゲストも多数来られていて、紀田氏の幅広いお仕事に触れられるいい会であった。荒俣氏の紀田氏への愛情と尊敬がこもった空間で、なんだかしみじみしてしまった。主催・運営の皆さまに感謝いたします。会の終わりに荒俣宏氏にご挨拶にいき、『日本ホラー小説史』についてのご報告とお礼をお伝え。紀田氏には直接お伝えすることがなかったので、献花しつつ心の中でお礼を。『日本ホラー小説史』は紀田氏に捧げる一冊となりました。
帰宅して18時。お夕飯食べてお風呂で本読み。ホラーを読むのであった。そっからブログを書いてさあ、頭蓋骨を折ってさあ、重箱に詰めてさあ、仕事するのさあ。ひっひっひっひっひ。
(会の帰りにお花をいただいた)