2025年4月6日日曜日

怪老人日乗:4月5日(日)

おいおい、もう5日かよ!と宇宙の果てで叫んでいるやつがいるという。その名はスペースおばば。宇宙に生まれた老婆だという。くるりと振り返ったその顔は、なんと人形であったという。という話を昔誰かに聞いた。

ええとですね、日記をつけますけど書くべきことはないです。しかし!書くべきことのない日というのはあるのか?いや、ない。日常を克明に見つめ、些細な変化に目をとめれば、生活はドラマに満ちているのだ。しかしですね、わたしはそういう感性がゼロですし、目も頭もぼんやりしており、北海道弁でいうならば「なんもかんもわがらねえ」人間ですので、書くことはマジでないですね。

ですので仕事のことを書きますが、仕事はしてますけど、遅いですね。これまでは日常的な業務があって、その合間に書き下ろしをやっていたのですが、もうそうも言っていられないので、近い締め切りは一切手をつけていないです。どうにかなる。なんとかなる。誰かがなんとかするでしょう。今は書き下ろしを一ページでも進めるのが最優先でそれをやっております。朝から夜までやってたよ。

普段原稿書きのときはあまり音楽を聴かないか、聴くとしても同じものをずっと流し続けて、そっちに意識が向かないようにしているのですが、昨日は久しぶりに友川かずきのCDをひっぱり出してきて聴きました。エッホエッホというのがネットミーム的にはやっており、フクロウらしいのですが、それはともかく友川かずきの「犬」という曲の「エホッ、エホッ」というかけ声を思い出して、聴いたわけです。




「犬」というのは1980年発表のアルバム『桜の国の散る中を』の幕開けを告げる曲で、石塚俊明のドラムが遠雷のようにおどろおどろしく、そこに友川かずきの八方破れ的なアコースティックギターが重なって、もう非常に疾走感がある曲なのですね。フォークなのにめちゃ早い。早いというか焦る、駆け出す感じがある。しかも友川さんのルーツである秋田の風景、雪原だとか田んぼだとか、そういったものを非常に感じさせる感じもあり、もうなまはげと併走しているようなすごい曲です。歌詞もとてもいい。「そこで寒山拾得の喝」という歌詞など、まったく意味が分からないが非常にわたし好みで、友川かずきは素晴らしい。

というわけで『桜の国の散る中を』を今も聴いているわけだが、やはり鬼気迫る名盤。一遍上人が作詞した(というのも変だが)「問うなれば」は浄土信仰とワルツ的なリズムが絡み合い言いようのない興奮があるし、出稼ぎに向かう男の語りを収めた「おどの独白」なんて東北人の心を、ってわたしは東北人じゃないけど、ビシビシと刺激してきて感涙だし、「口から木綿」のはっとするほど美しさ、「囚われのうた」の凜々しい戦慄、「桜の国の散る中を」のドラマ性(ここでも石塚俊明のドラムがすごい)。

同じ東北出身アーティストでも友川かずきは分かりやすく土俗、因習という感じではなく、そこが青森をある意味ギミックとして用いていた寺山修司や三上寛と手触りが違うのだが、しかし揺るぎない生活者のやけっぱちな叫びとそこを突き抜けていくような詩心があって、闇の中で繰り広げられている、意味の分からない盆踊りに参加しているような気持ちになる。民芸品や地蔵のような激しさをもったアルバムです。この時期の友川かずきのアルバムは全部いい。

大学の頃はこれをずっと聴いてて、大学に向かう長い坂道とか(近鉄の興戸駅から15分くらい歩く)自動車学校のつらい待ち時間とか、そういう時に聴いていた。心が苦しくなりがちな春にぴったりです。若い人、春は心がソワソワしてつらいけどがんばれ。

2025年4月4日金曜日

怪老人日乗:4月4日(金)

しばらく更新されないなあ、と思ったでしょ?わたしもそう思いました。思いすぎて、重い~となりましたもの。そのくらいの心意気でないと怪老人日乗はやってられないですよね!さて今日一枚目のお葉書です。東京都の南無阿弥陀仏さん、九〇歳から。「わたしは毎晩お経を唱えているのですが、それがまったく聞こえてきません。どういうことでありましょうか」うーん、どういうことでしょうネ。

というわけで、今日の日記を書く。楽しんでるかーい。ええとですね、このところずっと原稿をやっている。いい加減やばくなってきて本気を出しているわけである。今までも本気は出していたのだが、じゃあこれまでとどう違うかというと寝る時間を……ちょちょっと削るという感じでしょうか。書く速度はいくら頑張っても早くならないですからね、だったら机に座っている時間を物理的に延ばすしかない。えらいこっちゃわ。

しかしまあ間に合うかどうかギリギリで、それが終わってもなお次なる強敵が潜んでいて、まあ今年がライターになって一番忙しいのは間違いないです。いやどうかな。数年前、忙しすぎて切れそうになったけど、あと去年も仕事が続いてめまいで倒れたけど、ああいうのも慣れるものなのでね、今年の感じもそのうち慣れるんでしょう。

書き下ろしだけやってりゃ一番いいんですけど、日銭を稼がないといけないのでそうもいかず、普段の仕事もちゃんとやっております。今日は高田馬場で取材。昔はブックオフのいいのがあったけど、今はなくなったという噂も聞く。そんなわけで芳林堂書店だけよって大人しく帰ってきた。電車が混むのも疲れるしね。

結局最寄り駅のコーヒー屋に入って、パソコンに向かい怪老人日乗を書いているわけなのであるが、その前にあちこちに請求書を出しましたですね。昔はこれ、紙で印刷して、切手を貼って郵送していたんだけど、コロナ禍以降PDFでもいいということになって、大変楽になりましたね。今日はここで夜まで仕事、ってもう17時半か。ワニでも歩いてないかなあ……。あ、ラッコが浮いてる……。






2025年3月25日火曜日

怪老人日乗:3月25日(火)

火曜日である。バイオの黙示録である。朝早くから遅れている原稿書き。昼くらいには終わるかな、とじりじり書き進んで、午後3時にやっと終わる。はっと気づくと家の中は無人。文鳥もいない。そうだ、家族が関西に帰省したのだった。というわけでよたよたとお昼を食べに出てきましたよ。

これからもう1本原稿を書いて、深夜は書き下ろし作業だい!と相原勇のように叫ぶのだが、返事なく、南無阿弥陀仏の声のみ聞こゆ。

さてこのところ映画がまったく見られていない。昔は一日一本とか、二日に一本とか、配信で見ていたのだが(その前はレンタルDVDで)このところ起きてから寝るまで基本仕事しているので、どうにも本数が減ってしまった。京極夏彦さんのように書きながら見られたら一番いいんだけど。しかし娯楽を摂取していない気がしないのは、ホラー小説を日々読みまくっているからだろう。

昨日はですね、いいお天気でしたね。桜が咲いておりますよ。見てないけど。昨日は飯田橋に出て仕事夜まで。電車混むかなあ、いやだなあと思いましたが、20時を過ぎるとそんなに混まないみたい。一番混むのは5~7時代で、あの時間に電車を乗るのはhell of hellでございますね。

皆さんコーヒーは一日何杯くらい飲むだろうか。私は大きなマグカップで3杯から4杯、多い日は5杯である。カフェインは体に影響があるとか、依存性があるとか、いろいろいわれているが、空気のようにコーヒーを摂取しているのでそんなことはまったく感じない。これが依存だといわれたらそれまでだけど、眠れないこともないし(むしろ快眠)今のところやめる気はない。悩ましいのはコーヒーが高いことですが、成城石井の「2」って書いてある豆は濃くておいしくてそれなりに買いやすい値段なのでおすすめです。なんで2って書いてあるかって?2次元空間で採れたんでしょう。恐ろしいことですよ……。

ごろっとソファに横たわって落合信彦でも読みたいような日和ですよ。小学生の頃のように。





2025年3月24日月曜日

怪老人日乗:3月24日(月)

あううー、色々間に合っていないー。大の大人があまり焦ってみえるのはよろしくないが、内心は焦っております。むうん。昨日はほとんど家から出ず、あ、図書館には行ったか。それ以外はまあ仕事ですね。子どもも暇そうにしてるし、なんか申し訳ないのだが。まあ本が書き上がるまでには仕方ない。

しかも今年は大きなプロジェクトが最低でも3つ、話だけ出ているものが2つある。そうこうしてたら秋になるなあ、という感じでおります。忙中閑ありで出かけないとただ年をとるだけですね。まあ私は家から一歩も出なくても案外平気なので、そういう意味ではライターという仕事が向いていたなとは思う。しかし子どもが何もしないでゴロゴロして、エアガンのカタログなど眺めているのを見ると、「もうちょっと友達と会うとかしろ!」と思ってしまうので勝手なものだ。そういえば子どもの頃、「外に遊びにいきなさい」と言われるのがいやだったなー。自転車で町内をアリバイ的に一周して、「ただいまー」と帰ってきて部屋で本を読んでいたのだった。

昨日もほぼ終日書き下ろしの作業。午後3時から気持ちを切り替えて別の原稿にかかったが、やはり並行して両方やってしまう。並行作業はあまり効率がよくないのですけどね。でなぜ日記を最近よくつけているのかといえば、頭の整理の意味もあるのだった。一服するような気持ちで日記をつけ、今日やることのスケジュールを整理しているのである。ちょっと前にグーグルカレンダーを活用してうまく進んでいたが、最近忘れていたからまた使うようにしよう。グーグルカレンダーのいいところは無理なスケジュールを立てないところだ。手書きでスケジュールを立てると欲張って「こりゃどう見ても一日じゃ無理でしょ」という予定を詰め込んでしまう。結果あふれて翌日以降ずれていく。

今日は飯田橋方面で仕事もあり。出かけないといけない。今週は家族がちょっと関西に帰省するので、わたしはひとり暮らしである。正念場なのでずっと家にいることになるのだろう。



2025年3月23日日曜日

怪老人日乗:3月23日(日)

3月23日といえばあの日じゃないか!「323の日」。すげー、一年で一回らしいよ、323の日は。怖いねえ、戦慄するね。323の意味はあれだ、323だ。

さて毎度書いているが、このブログを予備知識なしで読んだ人はどんな気持ちになるのだろう。「朝宮運河というのはホラー方面で活動しているライターらしい、あ、ブログがあった、見てみよう」と思った方はどんな思いになるのだろう。そういうことを考えないといけないと思うのだが、思うだけであまり考えないのが私のよくないところであるが、ブログくらい意味が分からないことを書いてもいいんじゃないでしょうか。でもXでも意味の分からないことを書いているし、ビジネス的にはいいことは何もないね。まあいいか。自分が楽なのがよい。

というわけで変わらず役に立たないことを書きます。最近はこのブログ、日記ですらなくなってきて恐ろしい。さすが323の日だ。怖いことが起こるぜ……。ええとですね、昨日は終日仕事、いい天気だったがバイクで外出もせず。あ、お昼はピザを作って食べましたね。好きな具を載せてオーブンで焼いて食べた。おいしかったです。「作った」と書くとさもわたしが料理上手のいかしたメンのようであるが、そんなことは一切ないです。むしろぐじゃらぐじゃらと、素浪人のように生きています。

あとは何だ、何をしていたか。Spotifyで筋肉少女帯をずっと聴いて仕事をしていましたね。Spotifyはお金を払っていないプランですが、それがいいのだ。時々コマーシャルが入ったり、曲順を自分でいじれなかったりするのがいい。ラジオのようで、聴き流すにはちょうどいいのである。脳のリソース(という言葉は今風で好きではないが)がBGM選びに割かれないので仕事向きなのである。

でひたすら本読み&メモ取りで書き下ろしの作業を進める。やっと目次が確定してきた。ホラー100冊企画、刊行時期の順に並べているのだが、そのせいでこれだと思った作品がうまくはまらなかったりして結構大変。順不同で選ぶなら楽なのだが、やはりそこはきちんと法則性を持たせたいところ。でせっかく書いた原稿をほかとの兼ね合いで削ったりして、結構もったいないのであった。どひょーん。

宇宙からカメが落ちてきたことがあるという。それを打ち返す人もいたという。その名は大谷翔兵衛。房州を旅する素浪人であった。







2025年3月22日土曜日

怪老人日乗:3月22日(土)

土曜日である。ふと思い出したが子どもの頃「ドクシー!」という決めぜりふみたいなものをよく口にしていた。意味はまったくない。昔から意味のないことを言うのが好きだったんだな。昔から今まで変わらずテキトーだともいえる。適当とはよろしくないことのように思われるかもしれないが、そんなことはないのです。素晴らしすぎて、頭からカエルが飛び出します。

というわけで今日も仕事をしている。床屋に行った子どもと外でアイスを食べた。床屋に行ってアイスを食べるのはうちの恒例行事なのである。こういうことを大人になってふと思い出してくれるかもしれない。仕事で部屋にこもっているから、このくらいのことはしたいと思う。

さて京極夏彦さんの取材をしたNHKのテキスト『心おどるあの人の本棚』(NHK出版)についてSNSに書いたら、大きな反響があった。皆さん京極さんの書棚には関心があるのだなあ。これってすごいことで、普通そこらの人の本棚をわざわざ見たりはしないですよね。そこらへんのさ、頭からパーッと花が咲いたり、口からカエルがはみ出しているような親父がいて、その人が腰をくねらせながら歩いていて「あ、あなたの本棚を見せてください!ぜひ!!」とはならない。京極さんだからみんな並んでいる本や、書棚の作りに関心があるので、これはすごい影響力であるなと思う。京極さんの存在自体が、出版業界にどれだけいい影響を与えているか。考えるだにありがたいことだ。

さて、宇宙人である。宇宙人には6種類あるという本を読んだことがある。いや、そんな本は読んだことがない。わたしは宇宙人は好きではない。あいつらは無礼だ。ごはんを食べるとき、手を頭のうえにこすりつけるのだ。そして鼻からガムを出すのである。それをテーブルに並べて賭け事を始めるのだ。ひどいやつらもあったものだ。それに比べるとエイリアンは礼儀正しいのである。エイリアンと宇宙人は同じ人なのかもしれないが……そんなことわたしに分かるわけがないのだった。完。

あ、京極さんの本棚取材はとても思い出深いもので、あれ以来わたしは本棚だけは整理するようになった。人生は錯乱を極めているが、せめて本棚くらいは整えておきたい。



2025年3月21日金曜日

怪老人日乗:3月21日(金)

ザ!金曜日!というわけでもう週末が近づいてきたじゃないか。こないだ週が明けたと思ったのに……。という風に感じるのは大人だからで、小学生の頃は一週間が長かったなあ。それはもう長くて、4年くらいあったんじゃないでしょうか。ってことは2週間は8年くらいあったってことでしょうか。昔は怖いなあ……。

というわけで時間は瞬く間に過ぎ去るので、ところで「瞬く」って言葉はなんというかポエム的というか、SF的ですね。これが「目玉をバッチンバッチン開閉する」と言い換えるとホラーっぽくなりますね。そんなホラーはないか。

さて日記を綴る。海底人も地底人も綴るという日記をわたしも綴ってみるのである。ドキドキするなあ。人生最初の経験だ。というわけで昨日ですが、ええと何をしていたかといえばですね、驚くなかれ一歩も家から出なかったね。祝日なのに。いい天気だったのに。家族は出かけたりしていたようだが、私は家の前の郵便受けにも行かず。ずっと部屋で仕事をしていた。

朝からずっと原稿やって昼過ぎに一本送信。風邪気味なので少しだけ寝てそこからもう一本の原稿をやる。合間に本読み。書き下ろしになかなか時間をじっくり取れないのが悩ましい。夜叉のように集中せねば間に合わないのだが。夕飯は豚肉の生姜焼きでありました。

11月にワゴンに当てられた交通事故の示談がやっと成立、っていうかこちらが電話するまで示談書を送ってこない先方の保険会社がひどい。さては忘れてただろ。慰謝料6万円というのが安いのか高いのか。体の怪我自体は軽かったけど、バイクは全損して廃車になるし、通院で時間は取られるしで色々と大変だったのだ。避けられるものではないが、巻き込まれてもいいことは一切ないね。

さて今日も仕事をするでよ。遅れている原稿を書き上げないと……そして書き下ろしをやって、合間にインタビュー記事を書かないと……。らららー。




2025年3月20日木曜日

怪老人日乗:3月20日(木)

木曜日である。右も左もモックモクだよお……ということは先週も書いた。あいかわらずモックモクの木曜日であるが、霧の向こうに古城が見える。湖上の古城(フランスの駄洒落)。

というわけで今日も元気に頑張りたいが、実は昨日からちょっと風邪気味であった。そんなわけで葛根湯を飲んで昨晩は早めに休む。いや寝るのは毎日割と早いのだ。10時から11時には寝ている。で3時から4時に起きるという生活だ。しかし今朝は風邪薬のせいで起きられず、普通に7時に起きてしまって、いろいろ間に合わないのではないか、ブログなんて書いている暇はないのでは……と思うのだが、そこは函館のジャック・ザ・リッパーと呼ばれた私のことである、立派にやりおおせることができるのではないか(イギリスの駄洒落)。

宇宙からカメが落ちてきたことがあるという。それを打ち返す人もいたという。恐ろしいことじゃ。

昨日あった出来事を書いておくと、なぜって書いておかないとほんとに忘れてしまうからで、以前は詳細な日記をつけているような人間だったが、最近は時間も根気もなくて、ほとんど日記をつけてない。そもそも日記って読み返さないのである。ブログの方が読み返すし、ゲラゲラ地底人が大爆笑するし、一石二鳥ではありませんか。違うだろうか。そんなわけでここに日記代わりの記録をつけておくと、昨日は朝の3時に起きて仕事関係の本読み。昼までずっと読み続けいい加減眠くなってきたあたりで外出準備。誰もいなかったのでラーメンをゆでで食べまして、側転もしまして、壁も這いのぼりまして、洋服をスーツっぽいものに着替えて外出。朝は珍しく雪、おそらく今シーズン最大の積雪だったが、あっというまに消えてしまい、おまえはいったいなんなんだ、と言いたい。

そんなわけでスニーカーで外出。護国寺にて取材。大きな規模の取材でスタッフさん・関係者が15人くらいいる。順に名刺交換していたら、持って行った名刺がすべてなくなった。大勢の前で聞き手を務めるのは、以前だったらひえええ、緊張するよおお、という感じだったのだが、人間は生きていると緊張感が鈍磨してくるものなのか、なんとか大役務めることができたかと思います。皆さん、お疲れ様でした。

さすがにくたびれてコーヒーでも飲んで帰るかと思ったが、夜になってもぴゅうぴゅう北風が吹いて寒いし、家でコーヒー飲んでも一緒だわなと思い直して帰宅する。佐々木牢記、と書いたら山田風太郎のキャラみたいだが、佐々木牢記のピッチングを眺めながら着替えをしてお風呂に入ってホラーを読んで、ご飯を食べて。そしてあまり仕事もせずに寝たところで今日を迎えた。木曜日で祝日であり、天気もよく外出日和であるが、急ぎの締め切り最低でも2つやらねばならず外出できず。いつもながらぎりぎりである。

個人的には祝日や土日が好きなのだが(取材や打ち合わせや急ぎのメールが入らないから)しかしその分、家族であまり出かけられないなあ、とも思うのでありました。まあ自営業の家族はそんなものか。




2025年3月18日火曜日

怪老人日乗:3月18日(火)銀河爆発篇

というわけで3月18日を迎えたのである。今日は何があるのかというと……別に普通の日ですが、大谷翔兵衛が野球の試合をする日である。わたしは大谷選手のことをずっと「大谷翔兵衛(しょうべえ)」と七人の侍風に呼んでいるのだが、いまいち定着しないのであった。根拠がまったくないあだ名だから当然といえば当然である。

それからだいぶん遅れている締め切りもある。あと新規の打ち合わせもある。明日は午後まるまるかかる大きな取材がある。時評の締め切りは明後日だから、その本読みとテーマ決めもある。もちろん書き下ろしの作業もあるし、ワニの背中にかじりつくという大任もあるのだ。おういえい。

今さらのようだが、この怪老人日乗はマジで面白い。いとをかし的な素朴さもあり、ざんぎり頭をたたき割るようなドラマチックさもある。たとえるならコンサイス英和辞書のような面白さだ。どういうことかというと……わたしにもまったく分かりませんね。

どんどんこのブログがおかしなことになってきているので、たまにはまともなことを書こう。そう、先日は打ち上げがありましたね。汐文社で出した『キミが開く恐怖の扉 ホラー傑作コレクション』全4巻の完結お祝いで、イラストレーターの谷川千佳さん、編集の北浦さんとご飯を食べたのだった。

谷川さんとはこれが初対面。素晴らしくホラーで幻想的な装画のお礼をお伝えした。また谷川さんはご富山の出身だということで、「藤子A」「まんが道」「高岡大仏」「わいの恋人はまんがや」という話をしつこくしてしまった。反省している。

汐文社の北浦さんはこれまでにも文豪怪談やミステリなどのアンソロジーを作っておられて、十代に向けて小説の面白さを伝えようと尽力されている編集さんである。現代ホラーのアンソロジーを一緒に作ることができて、とても光栄でありました。



あと近況としては土日に原稿をひとつ送り(インタビュー原稿)確定申告を片付けた。確定申告、いちおう電子帳簿をつけて青色申告しているが、根本的なところで簿記の理屈が分かっていないので「これでいいのか?」という足下がぐらぐらする感じが常にあり、不安である。確定申告は毎年数時間で終わるような気がして、着手してみると一日仕事になるのであった。こういうのを古人は「ざんぎり頭を叩いて見れば南無阿弥陀仏の声のみ聞こゆ」と言い習わしたものである。偉い人もいたものじゃ。




2025年3月15日土曜日

怪老人日乗:3月15日(土)

土曜日だ。ドドーンと地割れがして、中からカメラを持ったカメが出てくる。そんな土曜日になるだろう(枕草子)。というわけで昨日はほぼ家から出ず、ずっと仕事。今日もバイクでどこか走りたいけど、そんな時間は一切ないのだった。

山吹静吽『迷い家』久しぶりに読む。太平洋戦争末期、東京から田舎に疎開した少年が、脱走した妹を探すうち深山幽谷の中でそこに存在するはずのない広大な平野と、巨大なお屋敷を発見する……というホラー長編。あらためて読むと前半の東京大空襲との惨禍と疎開生活のつらさを描いたシーンが印象に残り、それが後の屋敷探索の物語の動機にもつながってくるのである。やはり力強いモダンホラー長編だ。超おすすめ。

あとですね、わたしは日本語入力時atokというのを使っている。普通皆さんはウィンドウズのパソコンだとIMEというのを使って日本語入力しているはずだが、私はあの変換があまり好きではないので、一太郎を購入してatokというやつで変換しているわけである。これは賢くて、一度使った文字は自動学習して、使い込んでいるうちに変換などストレスなく出るようになって、私は20年くらい一太郎を使っているので、まるで老舗のうなぎ屋のタレのようになっていたのだが、昨日めんどくなって初期化した。

というのも最近のatokはなんでもかんでも学習しまくって、ちょっとした誤記まで単語登録され次の変換で上位候補に出てくるようになり、誤表記の原因となっていたのである。そんな言葉はないよ、というものまで変換候補で出てくるようになり、どっちが正しい表記か判断がつかないときがあって、困っていたのだ。それで変な候補は削除するようにしているのだが、昨日はとっさに「買う」という単語を削除してしまったら、二度と「買う」が変換されない世界になってしまった。あわてて「買う」をワ行五段活用の動詞として登録しなおしたが、うまく出てこない。

こりゃアカン、龍馬はん、アカンぜよ、と勤王の志士のように思ってですね、全部削除したわけです。これでまっさらの状態になった。またわけのわからない言葉を、少しずつ覚えておくれやす。

そうだ、昨日はホワイトデーだったのだ。子どもとフルーツ白玉をつくってみんなで食べました。