2025年4月29日火曜日

怪老人日乗:4月29日(火)

さて皆さん、これから学級会を始めます。全員立ってください。そのままお面を外してください。そのままロケットから降りてください。そのままスキーを脱いでください。ええとですね、学級会を終わります。

というわけで今日も仕事をしている。外はめちゃめちゃいい天気だ。だいたい私は五月が好きなのである。自分が生まれた月というのもあるが、なんというか快晴が続いていいじゃないですか。と思ったけどまだ四月だった。四月はね……まあ好きよ。後半の方は。ウーパールーパー。

ええとですね、そんなわけでいい天気だが仕事をしている。ラッコを捕まえたりもしている。ラッコというのはもう日本に入ってこないのだそうで、今水族館にいるので最後なのだそうだ。ラッコというのは何年くらい生きるものなのか。ラッコがいない時代を考えると暗い気持ちになるが、ラッコのポーズというのは永久だろう。お風呂で君もやるがよい、ラッコのポーズを。

なかなか本題にたどり着かない。わたしのブログはそのうち本になるだろうが(誰かして)本当に意味が分からなくて、読んでいると脳が割れそうになる。もともと脳は割れているじゃないかという説もあるが、右脳と左脳というレベルではない、横にズバッと割れるのだ。断面的だ。それでですね、日記をつけたいのですけども、昨日は平日で取材でしたね。2本録り。午後まるっとかかる。しかも取材場所が都心の方だったので行き帰りにも時間がかかり、まあ疲れたので夜はあんまりはかどらず、であった。出発前に1本原稿送ったこともあり、なんだかへろへろでありました。

今日は寝たから元気で、朝からタルトなど食べ(昨日の帰り、疲れて唐突に買った)取材でいただいたお餅も食べ、甘いものはうんめえなあとラッコのポーズで町内を移動した。そしたらどういうことでしょうかね、警官に撃たれましたね。それにもめげず原稿やる。今夜までにひとつ目処をつけたいものがあり、ずっとお待たせしている15枚ほどの原稿もあり、さらに明日の打ち合わせの準備もあろうが、さらに木曜までの時評締め切り原稿もあり、そのための本読みもあり、そのうえ木曜にはロングの取材があって、金曜の午後にはズーム取材が入っており、ついでに某誌のための選書もあり、合間には飯田橋で編集作業もせねばならぬ。もう何から手をつけていいのか分からない。爆発寸前ギグ。そこで日記をつけているわけです。

なんか忙しいと腹が立ってきて、あたしゃ許さないよ、という気持ちになるのだった。しかしそれは仕事が多いことではなく、仕事が遅いことに対してであって、仕事が超速で終わればどんなに原稿依頼があってもあっという間に終わって遊びにいけるので、そういうことができない自分に対して、浅香光代が発動するのである。「あたしゃ許さないよ」という台詞を知らない人も増えただろうが、これは明治の元勲豊臣秀吉が北の方を向いて詠んだ句であるという。北の方ってどっちだ。稚内か。

2025年4月27日日曜日

怪老人日乗:4月27日(日)

にっこにこの日曜日、みんなが階段落ちていったよー。というわけで日曜日なのである。この有名な歌は大昔の人が作ったということじゃ。ええとですね、そんなわけで半月ぶりに日記をつける。この間うわーと叫びながら必死に仕事をしていたのだが、必死にやっても終わらないことが判明し、またお日様の下に出てきたわけである。

さて4月ももう終わりということはそろそろ5月ということです。えらいこっちゃわ。この2週間何をしていたかといえば、まあずっと原稿をやっていたわけである。さっきも書いたか。色々待ってもらって書き下ろしをメインでやっていた。お陰でまあまあ進んだが完成にはまだ少しかかり、その他の原稿仕事も「おめえ、どうなってるんだよおお」と悲鳴のような連絡が各所から届くので、これはもう宇宙船に乗って地底に逃げるしかない、と思っているのである。

カッパから手紙が来ました。なんと書いてあったでしょう。答え:カッパッパ。

ええとですね、それから天気はいいです。気温も高くなってきましたね。毎年この時期、春と夏の間は着るものがなくて、今年こそ薄手の上着を買うぞ、ブルゾン的なものを買うぞ、買って原宿の歩行者天国でバク転するんだ……と思っているのですが、買わずに終わりますね。秋も同様。しかしこのところ春と秋が短くなっているので、買わなくてもいいのかもしらん。

服屋にもずっと行っていない。5月は人前に出る仕事があるので、若干ちゃんとした服を買わねばならない気もするが、それ以前に髭がぼうぼう、髪の毛が原始人、なんというかきちんとしていない。机に向かって鯛焼きなどを食べている人生なのだ。

スターウォーズがテレビで流れていまして、家族が録画を見ていたので少し見た。相変わらずひょうきんな映画だと思った。猿が出てくるし、ロボットが出てくるし、これでカッパや亀まで出てきたら最高だ。しかし大体そんなような宇宙人がいろいろ出てくる。スターウォーズ、真剣に見ずにひょうきんな映画として見た方が楽しめるのではないかと私は思う。



2025年4月15日火曜日

怪老人日乗:4月15日(火)

バラクーダというのは不思議な言葉である。もともとは魚の名前だが、日本ではコミックソングの歌い手の名前としても知られ、昭和後期にはキン肉マンに出てくるロビンマスクの変名となって子供たちに知られるようになった。結局のところなんだかイメージが統一していない不思議な言葉なのである。しかしなんか好きな言葉なのだ。バラクーダ。濁音が二度入っているからかもしれない。

花束みたいな恋をした。人間みたいなワニがいた。キュウリみたいな猿がいた。猿人みたいな猫がいた。というわけで今日の日記であるが、昨日は飯田橋に出ねばならない日であって、ひさしぶりにコンタクトレンズをつけて外出。数時間作業してさっと帰る。お昼は池袋駅前のパン屋さん、タカセの固いパンのサンド。粉チーズとハムとトマトが入っているやつで、これ好きなのでよく買う。あとはあんパン。いつも粒あんパンを買うけど、たまには渋い大人の魅力を見せつけてやるかとこしあんパンを買った。うーん、どっちも美味しいから、両方買えばよかったのかもしれない。そしてほっぺに当てて走り回ればよかったのかもしれない。

帰宅して15時すぎ。そこから原稿書きひたすらやって夜まで。4つくらいを並行してやっているから今ひとつ進んだ気がしないが、まあ出口があると信じてやるしかねえ。並行作業は苦手なのであるが、じりじり進めているとあるとき、ふっと「あ、これは終わるな」と頭ひとつ抜けるものが出てきて、そうなるとそれをぐわっと集中してやる。すると一ヶ減るのである。そこまでが苦しいが仕方ない。

ところで今月は後半がいろいろ入っていて、すごく予定だらけなのだ。打ち合わせや取材やその他諸々だ。しかし原稿書きもすごくたくさんあるのだ。これ以上削れる時間はない。毎日7時間見ているドラえもんのアニメ鑑賞をやめるしかないのか。のかのか。

和尚さんが笑っていたというが、それは本当は泣いているのだという。和尚の心は昔宇宙人にいじくられたのだという。宇宙規模のいやがらせだったということだ。おそろしいですね。







2025年4月14日月曜日

怪老人日乗:4月14日(月)

うわわわわ。月曜日になってしまったー。昨日は寝てる場合じゃなかったのかもしれないが、ぐーぐー寝ていたー。というわけで4時に起きまして作業開始、寝ないと病気になるからね、短時間でもわたしは寝ますよ。さて今日はですね、雨が降っておりますねえ。その中からゆるりゆるりとやってくるのは、あれは幽霊マンじゃないか。おーい、幽霊マーン!お金を貸してくれー。

真面目に書く。ええとですね、といっても仕事してるだけで基本、日記に書くべきこともないのであった。どうしよう。昨日はねえ、玄関に置いてある桜の木に花がついていたね。わたしが書くとまた嘘かと思われそうであるが、これは多分ほんとうで。近所に住んでいた著名な写真家のおじいさんが亡くなり、その形見分けという形で鉢に入った桜の木をいただいたのだった。花咲かないのかなあ、と思っていたら世間からすこし遅れてきれいな花がふたつほどついた。

あとねえ、ラッパのマークの正・露丸という人が玄関に訪ねてきた。正という文字は「ただし」と読むらしい。「ただし・ろまる」と読むらしいのだ。そんな人はいるだろうか。分からないが顔のところにラッパのマークがついている。みっつも。何の用かと思ったら、特に用はないという。そういう人なら大歓迎だと思って家にあげかけたが、待てよと思って足下を見たら、裸足ではないか。「これで足を拭いてください」といってハリネズミを渡したら、えーんえーんと泣いて帰っていった。鬼の世界である。

2025年4月13日日曜日

怪老人日乗:4月13日(日)

なんということでしょう、日曜日ではないですか。日曜日というのは昔の伝説では盆踊りの日ですね。盆・凡・煩。あとお休みの日らしいですが、わたしはこの10年ほど、日曜日あんまり休んだことないです。ディーン・クーンツは『ベストセラー小説の書き方』(巻末のブックガイドがすごく面白いので、ここだけでも読む価値あり)において、「おれは若い頃ひたすら休まず仕事したらベストセラー作家になれて、今は結構休みが取れるぜハッピーターン」というようなことをアメリカンな口調で書いていましたけども、個人事業主の多くはまあそんな「あがり」というのはなくてですね、ずっと土日も働く感じだと思います。いかん、辛気くさい話題になっている。

ええとですね、ワニザメっているじゃないですか。これの仲間を考えたんですがゾウガメがそうですよね。つまり動物と動物を組み合わせてひとつの動物にした感じの名前。これって面白いなあと思うわけで、他にもあるかと考えたんですよ、さっき。猫じゃらしはどうかな、と思ったけど「じゃらし」という生物はいないからバツ。あとは何かいるかなあ。ハチドリというのがそうか。あとは叶姉妹、かなあ。いや、あの人たちは姉と妹がよく一緒にいるけど、別に融合しているわけでもないし、それも違うかあ。

ええとですね、昨日は15分刻みで仕事。なんかタイマーみたいのを買いまして、集中できない子供が朝の準備などに使うためのタイマーですが、わたしもその気が大いにあるので買いまして、それを動かしてやっているわけです。今はブログを書く時間。そのあとは3つの仕事を並行してやるでよ。マルチタスクで頭がごちゃごちゃする方、紙に書き出すのはもちろん有効ですし、それをタイマーで管理するのもおすすめです。

さて今日は雨。雨が降ったら思い出すぜ……水たまりでワニに喰われた日のことを……あれは真夏のカンカン照りの日だったぜ……

2025年4月12日土曜日

怪老人日乗:4月12日(土)

ノストラダムス世代である。一体何歳から何歳くらいまでをノス世代というのか分からないが、割とわたしの世代は五島勉『ノストラダムスの大予言』由来の1999年世界破滅論に影響を受けているのではないかと思う。それはまあよく言われるオウムがどうのという大袈裟な話ではなくて、一般常識としてノストラダムスの大予言をふつうに受容していた、くらいの軽い感じで。

で『ノストラダムスの大予言』、五島勉の著作はいっぱいあって、わたしもすべては読んでいないが(京極さんの家に全部あって驚いた)最後の方の巻、『ノストラダムスの大予言 残された希望編』かなあ、その本の中でノストラダムスが「わが大予言も完結するであろう」とそういうような文章を残していて(例によって五島勉だから創作かもしれないが)、なんか格好いいな、最終回っぽい盛り上げ方だなノストラダムス、と子供心に感心したのであった。

で何を言いたいのかというと、2021年頃からずーっと引っ張ってきたわが仕事もやっと完結するであろう、とわたしは大予言したいのである。泣いても笑っても今月で終わらせねばならないので(もう発売が確定しているので)完結するであろう。ノストラダムスの気分である。問題は完結の前にめちゃくちゃがんばって原稿を書かないといけないことで、ああ、またこうやっておれは一夜漬けの経歴を積み重ねていくのか、という感じ。しかし100枚を一晩で書いたことのあるわたしでもさすがに本一冊を書くのは難所で、まあ苦労はしております。終わるのかなあ、あと10日で。

んなわけで今日も仕事。なんだか運動しないので少し顔が丸くなってきた気もし、まずいなあと思う。コロナ禍、歩かないで菓子パンばかり食べていたら(当たり前だけど)やはり太った。あの頃ほどではないものの、やっぱり運動不足だし、夏場の露出増に備えて痩せておきたいところである。露出といってもヌーディストというわけではなくて、人前に出るということですわい。ヌーディスト集めて早し最上川。

そういえば昨日は深夜4時に原稿の依頼があった。送ってくる方も送ってくる方だが、返事する方も返事する方で、すぐにええですよとスマホで返信。また文庫解説のお仕事。今年はホラーな文庫がたくさん出るのかすでに6本くらい解説依頼がある。ミステリー方面だと書く人が多いのだが、ホラー方面は解説者があまりいない、という事情もあるのだろう。わたしも決してホラーだけをやろうと思っていたわけではないのだが、気づけばホラー専業みたいな感じになっていて、人生いろいろ男もいろいろ南無阿弥陀仏もいろいろあるでよ、という感じである。

今日も古本届く。最近は古本をちゃっちゃか買っていて、轟音を立てて届くのだが、それを読む間もなく側転ばかりしている。カッパが床の間でどくろをなめている。山伏が炎天下で遠吠えをしている。ワニが逆立ちして腹にオイルを塗っている。バッテリーのあがった深大寺公園が虚空に蹴りを入れている。サーモンピンクのツタンカーメンがラッパを地下で吹いている。というわけです。皆さんいかがおすごしか?


ぼくミッキーだよ!

2025年4月11日金曜日

怪老人日乗:4月11日(金)魔の悪魔会館篇

われながらまったく意味が分からないサブタイトルである。世の中意味のないことが少なすぎると思いませんか。わたしは思いませんね。ええとですね、今日も日記をつけますが、いつも思うけどこの日記、朝につけることが多いから日記というより昨日の出来事なんだよね。昨日はですね、つまり4月10日ですけども、何があったかなあ、相撲取りがなあ、山を動かしてなあ、トンネルからもぐらが出てきてなあ、ザリガニがそれを襲ってなあ、悲劇じゃったなあ……。

ええとですね、まじめに書きますと昨日はただただ原稿書き。あとはメールの返信がいくつもある。わたしはメールの返信が遅かったのだが、最近は汚名返上、バリバリの早さになった。スマートフォンを変えたら通知がすぐ届くようになったので、ラインを返す感じでメールにもお返事する。やっぱりですね、きちんと返事をしようと思うと肩肘張ってしまい、なんか後々になってしまので、スマホで軽率に返してしまう方がいいなと思いましたね。これは何事もそうで、まじめにしようと思うと心が重くなってしまうので、さらりさらりと和尚の経のように、風に柳のように書くのがいいのだと思いますね。しかしまあ、和尚の経が気楽なものかどうかは分かりませんが……。

と思うものの、書き下ろしはつい肩肘張ってしまって進まない。2冊目はもっとさらりさらりと梅酒のように書くつもり。3冊目はまた肩肘張って脳がダイヤモンドになるような文章になりそうだ。このブログさあ、ほんとに意味が分からない比喩が出てきますが、皆さん大丈夫ですよね。パリ在住の後藤久美子もびっくりのシュルレアリスムぶり、と思って念のため調べたら後藤久美子さんはフランスでなくスイス在住であった。むしろダダイズムであった。

あとですね、細かい仕事がいろいろ入り、大変なので全部月末以降にまわす。後々大変なことになりそうだが、そんなときは「シェー」のポーズで乗り切ればいいと思う。山奥でインフルエンサーがそういっていたよ。朽ちた祠の中で。巷で人気のコスメを薦めながら……。常々思うが、わたしはインフルエンサーとかサウナにはまってる人とかを小馬鹿にしすぎだ。流行っているもの、というかそれに乗っかって浮かれる人がいやなのだ。偏屈だった父方の血だろう。

ともあれそういうわけでインタビューや解説や書評やいろいろなお仕事が来て、夏だねえ、という気がする。毎年そういえば春先はこんな感じなのだった、気がする(脳が悪いのでよく覚えていない)。仕事は受けるときはカレンダーにひょいっと書き込むだけなので、ほいほいという感じなのだが、いざその日になってみると「こんなに仕事を詰めたやつは誰だ~」となるので、分身の恐怖なのであった。まあいいでしょう。それも人生。問うなれば仏も我もなかりけり。

毎日ブログに貼る画像をPCのフォルダから探すのだが、今日は田中圭一氏に描いてもらったわたくしの似顔イラストを。数年前のダ・ヴィンチに載ったものである。さすがはプロの筆致で、本人はもっとアカチバラチな感じです。




2025年4月10日木曜日

怪老人日乗:4月10日(木)

木曜日である。右も左もモックモクだよおお。というわけでエジプトではその頃、ミイラ男が墓を掘っていたという。その墓穴は誰の墓穴だい。あんたのだよ!という怪談をひとりでやっていたという。そういう話を誰かから聞いた。

ええとですね、昨日はたいへんだったばい。聞いてくんねえ。朝の4時に起きまして、インタビュー原稿をぎりぎりと書き進む。昼頃までに送らねばやんべえ、というやつでしたが10時になりましてタイムアップ、外の仕事に出ないといけない。外の仕事というのは何かといいますと、まあ言ってしまいますが私は暴月刊誌、じゃないや某月刊誌ですこしだけ編集仕事をしていて、その作業が月に何度かあるわけですね。

でそれは進行上動かせない予定であるので、仕方なく泣きながらひーんひーんと飯田橋に出まして、作業をお昼過ぎまでやり、そのまま机を借りて書きかけの原稿を仕上げて送り。もうひとつ急ぎの原稿があったのでそれも後半を仕上げて送り、一段落したら夕方でありましたよ。

で電車が混むのがいやなので早めに都会を離れ、最寄り駅まで戻ってきてお昼食べたのが17時。そっからコーヒー屋にこもって書き下ろしの原稿書き。12時間働いて、そっから書き下ろしをやるのか……ハードだぜ……と思いましたが、まあそういうものなのでやりまして帰宅して21時。お夕飯を食べてお風呂に入ったらさすがに眠くなったので、寝ましたね。

今日は半日使う打ち合わせがあったのですが、それは泣きを入れて延期してもらい、今日は朝から作業しているわけです。はははのは。ワニ。

そろそろ万博が開催されるそうですが、わたしの世代にとって万博と言えばパリ万博……ではなくてつくば万博85ですね。コスモ星丸ですよ。星丸音頭ってのがあった気がする。昔テクノ歌謡かなにかのコンピレーション盤で聴いた気がする。それとですね、博覧会の思い出といえば函館と青森で共同開催した「青函博」ってのがありまして、あまり面白くなかった気がします。妙にだだっぴろくて、光線銃みたいのを打てる遊びがありましたけど、そんなものでした。子供心に「これは面白いと思わないと入場料が損だな」と思って、やっと面白い気がしてきましたけど。多分大阪万博もテレビで見るかぎりはそんな感じでしょう。

どこにも出かけないので洋服も買わず、映画代もかからずで、お金があまり減らない。しかしネットで古本は注文しているので、油断しているとアッということになるのであった。


アッ!

2025年4月6日日曜日

怪老人日乗:4月5日(日)

おいおい、もう5日かよ!と宇宙の果てで叫んでいるやつがいるという。その名はスペースおばば。宇宙に生まれた老婆だという。くるりと振り返ったその顔は、なんと人形であったという。という話を昔誰かに聞いた。

ええとですね、日記をつけますけど書くべきことはないです。しかし!書くべきことのない日というのはあるのか?いや、ない。日常を克明に見つめ、些細な変化に目をとめれば、生活はドラマに満ちているのだ。しかしですね、わたしはそういう感性がゼロですし、目も頭もぼんやりしており、北海道弁でいうならば「なんもかんもわがらねえ」人間ですので、書くことはマジでないですね。

ですので仕事のことを書きますが、仕事はしてますけど、遅いですね。これまでは日常的な業務があって、その合間に書き下ろしをやっていたのですが、もうそうも言っていられないので、近い締め切りは一切手をつけていないです。どうにかなる。なんとかなる。誰かがなんとかするでしょう。今は書き下ろしを一ページでも進めるのが最優先でそれをやっております。朝から夜までやってたよ。

普段原稿書きのときはあまり音楽を聴かないか、聴くとしても同じものをずっと流し続けて、そっちに意識が向かないようにしているのですが、昨日は久しぶりに友川かずきのCDをひっぱり出してきて聴きました。エッホエッホというのがネットミーム的にはやっており、フクロウらしいのですが、それはともかく友川かずきの「犬」という曲の「エホッ、エホッ」というかけ声を思い出して、聴いたわけです。




「犬」というのは1980年発表のアルバム『桜の国の散る中を』の幕開けを告げる曲で、石塚俊明のドラムが遠雷のようにおどろおどろしく、そこに友川かずきの八方破れ的なアコースティックギターが重なって、もう非常に疾走感がある曲なのですね。フォークなのにめちゃ早い。早いというか焦る、駆け出す感じがある。しかも友川さんのルーツである秋田の風景、雪原だとか田んぼだとか、そういったものを非常に感じさせる感じもあり、もうなまはげと併走しているようなすごい曲です。歌詞もとてもいい。「そこで寒山拾得の喝」という歌詞など、まったく意味が分からないが非常にわたし好みで、友川かずきは素晴らしい。

というわけで『桜の国の散る中を』を今も聴いているわけだが、やはり鬼気迫る名盤。一遍上人が作詞した(というのも変だが)「問うなれば」は浄土信仰とワルツ的なリズムが絡み合い言いようのない興奮があるし、出稼ぎに向かう男の語りを収めた「おどの独白」なんて東北人の心を、ってわたしは東北人じゃないけど、ビシビシと刺激してきて感涙だし、「口から木綿」のはっとするほど美しさ、「囚われのうた」の凜々しい戦慄、「桜の国の散る中を」のドラマ性(ここでも石塚俊明のドラムがすごい)。

同じ東北出身アーティストでも友川かずきは分かりやすく土俗、因習という感じではなく、そこが青森をある意味ギミックとして用いていた寺山修司や三上寛と手触りが違うのだが、しかし揺るぎない生活者のやけっぱちな叫びとそこを突き抜けていくような詩心があって、闇の中で繰り広げられている、意味の分からない盆踊りに参加しているような気持ちになる。民芸品や地蔵のような激しさをもったアルバムです。この時期の友川かずきのアルバムは全部いい。

大学の頃はこれをずっと聴いてて、大学に向かう長い坂道とか(近鉄の興戸駅から15分くらい歩く)自動車学校のつらい待ち時間とか、そういう時に聴いていた。心が苦しくなりがちな春にぴったりです。若い人、春は心がソワソワしてつらいけどがんばれ。

2025年4月4日金曜日

怪老人日乗:4月4日(金)

しばらく更新されないなあ、と思ったでしょ?わたしもそう思いました。思いすぎて、重い~となりましたもの。そのくらいの心意気でないと怪老人日乗はやってられないですよね!さて今日一枚目のお葉書です。東京都の南無阿弥陀仏さん、九〇歳から。「わたしは毎晩お経を唱えているのですが、それがまったく聞こえてきません。どういうことでありましょうか」うーん、どういうことでしょうネ。

というわけで、今日の日記を書く。楽しんでるかーい。ええとですね、このところずっと原稿をやっている。いい加減やばくなってきて本気を出しているわけである。今までも本気は出していたのだが、じゃあこれまでとどう違うかというと寝る時間を……ちょちょっと削るという感じでしょうか。書く速度はいくら頑張っても早くならないですからね、だったら机に座っている時間を物理的に延ばすしかない。えらいこっちゃわ。

しかしまあ間に合うかどうかギリギリで、それが終わってもなお次なる強敵が潜んでいて、まあ今年がライターになって一番忙しいのは間違いないです。いやどうかな。数年前、忙しすぎて切れそうになったけど、あと去年も仕事が続いてめまいで倒れたけど、ああいうのも慣れるものなのでね、今年の感じもそのうち慣れるんでしょう。

書き下ろしだけやってりゃ一番いいんですけど、日銭を稼がないといけないのでそうもいかず、普段の仕事もちゃんとやっております。今日は高田馬場で取材。昔はブックオフのいいのがあったけど、今はなくなったという噂も聞く。そんなわけで芳林堂書店だけよって大人しく帰ってきた。電車が混むのも疲れるしね。

結局最寄り駅のコーヒー屋に入って、パソコンに向かい怪老人日乗を書いているわけなのであるが、その前にあちこちに請求書を出しましたですね。昔はこれ、紙で印刷して、切手を貼って郵送していたんだけど、コロナ禍以降PDFでもいいということになって、大変楽になりましたね。今日はここで夜まで仕事、ってもう17時半か。ワニでも歩いてないかなあ……。あ、ラッコが浮いてる……。