おいおい、もう5日かよ!と宇宙の果てで叫んでいるやつがいるという。その名はスペースおばば。宇宙に生まれた老婆だという。くるりと振り返ったその顔は、なんと人形であったという。という話を昔誰かに聞いた。
ええとですね、日記をつけますけど書くべきことはないです。しかし!書くべきことのない日というのはあるのか?いや、ない。日常を克明に見つめ、些細な変化に目をとめれば、生活はドラマに満ちているのだ。しかしですね、わたしはそういう感性がゼロですし、目も頭もぼんやりしており、北海道弁でいうならば「なんもかんもわがらねえ」人間ですので、書くことはマジでないですね。
ですので仕事のことを書きますが、仕事はしてますけど、遅いですね。これまでは日常的な業務があって、その合間に書き下ろしをやっていたのですが、もうそうも言っていられないので、近い締め切りは一切手をつけていないです。どうにかなる。なんとかなる。誰かがなんとかするでしょう。今は書き下ろしを一ページでも進めるのが最優先でそれをやっております。朝から夜までやってたよ。
普段原稿書きのときはあまり音楽を聴かないか、聴くとしても同じものをずっと流し続けて、そっちに意識が向かないようにしているのですが、昨日は久しぶりに友川かずきのCDをひっぱり出してきて聴きました。エッホエッホというのがネットミーム的にはやっており、フクロウらしいのですが、それはともかく友川かずきの「犬」という曲の「エホッ、エホッ」というかけ声を思い出して、聴いたわけです。
「犬」というのは1980年発表のアルバム『桜の国の散る中を』の幕開けを告げる曲で、石塚俊明のドラムが遠雷のようにおどろおどろしく、そこに友川かずきの八方破れ的なアコースティックギターが重なって、もう非常に疾走感がある曲なのですね。フォークなのにめちゃ早い。早いというか焦る、駆け出す感じがある。しかも友川さんのルーツである秋田の風景、雪原だとか田んぼだとか、そういったものを非常に感じさせる感じもあり、もうなまはげと併走しているようなすごい曲です。歌詞もとてもいい。「そこで寒山拾得の喝」という歌詞など、まったく意味が分からないが非常にわたし好みで、友川かずきは素晴らしい。
というわけで『桜の国の散る中を』を今も聴いているわけだが、やはり鬼気迫る名盤。一遍上人が作詞した(というのも変だが)「問うなれば」は浄土信仰とワルツ的なリズムが絡み合い言いようのない興奮があるし、出稼ぎに向かう男の語りを収めた「おどの独白」なんて東北人の心を、ってわたしは東北人じゃないけど、ビシビシと刺激してきて感涙だし、「口から木綿」のはっとするほど美しさ、「囚われのうた」の凜々しい戦慄、「桜の国の散る中を」のドラマ性(ここでも石塚俊明のドラムがすごい)。
同じ東北出身アーティストでも友川かずきは分かりやすく土俗、因習という感じではなく、そこが青森をある意味ギミックとして用いていた寺山修司や三上寛と手触りが違うのだが、しかし揺るぎない生活者のやけっぱちな叫びとそこを突き抜けていくような詩心があって、闇の中で繰り広げられている、意味の分からない盆踊りに参加しているような気持ちになる。民芸品や地蔵のような激しさをもったアルバムです。この時期の友川かずきのアルバムは全部いい。
大学の頃はこれをずっと聴いてて、大学に向かう長い坂道とか(近鉄の興戸駅から15分くらい歩く)自動車学校のつらい待ち時間とか、そういう時に聴いていた。心が苦しくなりがちな春にぴったりです。若い人、春は心がソワソワしてつらいけどがんばれ。