この日記を書いている私は今函館シティにいるのである。母が生け花とかをやっている部屋があり、そこ長テーブルがあるのだが、それを使ってパソコンを打っているわけである。変な文章だな。テーブルを使ってパソコンを打っているみたいだ。そんなことは可能なのか?不可能ではないとは思うが……というわけで帰省しました。今回は一人で帰省。家族を伴わずに帰るのは学生時代ぶりかもしれない。
というわけで昨日のことをふり返りますが、朝の4時くらいに起きて原稿。本当は徹夜のつもりで机でうとうとしていたのだが、こりゃアカンと思って布団に入り数時間だけ寝た。でガバリと起きてコラム原稿。これまでの難関が嘘のように消えて、するすると書ける。粘ってよかった。こうなるから原稿書きは面白いともいえるし、怖ろしいともいえる。体に悪いことだけは確かである。
コラム終わったのが朝の9時くらい。それからちゃちゃっと旅行の準備をしてトランクに荷物をつめる。お昼ご飯食べて出発、品川を目指す。鈴木光司さんをしのぶ会がちょうどこの日、品川プリンスホテルで開催されるのだった。鈴木さんは上京してからずっと港区に住んでおられて、仕事場もプリンスホテルのラウンジだった。だからここでしのぶ会が開催されるのはいかにもふさわしい。正しくはしのぶ会ではなく「鈴木光司壮行会~新しい海へ~」というのだ。会場に向かうとKADOKAWAの人たちが受付付近にいた。集英社の人もいる。知り合いの顔がちらほら見える。正面の祭壇には海で撮った鈴木さんの写真。壁際にはこれまで出版された著作がずらっと並べられ、テレビモニターからは過去の映像が流れている。松原タニシさんや中田秀夫監督など、ホラー関係のお知り合いもいた。お二人とちょっと話す。
会ではゆかりの方々のスピーチが順にあり、鈴木さんの奥さま、『リング』担当堀内さん、静岡県知事、ヨットのお仲間、中田監督、鈴木さんのご息女、京極夏彦さんはビデオメッセージで出演された。貞子も井戸から登場。粋な演出である。どのスピーチからも鈴木さんのお人柄が伝わってくる。過去の写真がスライドで流れたけれども、どの時期もまあ筋肉ムキムキだ。バイクに乗って、船に乗って、小説を書いて、ベストセラー作家となって、ご家族と世界中を旅して。やりたいことはすべてやりきった人生だったのではないだろうか。『ユビキタス』の続きが読めないのは淋しいけれども、そう思った。
娘さんのスピーチで、「父は作家になる前、幼いわたしを膝に載せてヨット雑誌を見ていた。私にもどれがほしいか丸をつけさせた」とおっしゃっていた。その当時、鈴木さんはヨットを買えるお金なんて当然なかったであろう(家もカビだらけだったと娘さんがおっしゃっていた)。しかしそれから何年かして、ベストセラー作家になって本当に船を手に入れてしまうのである。こういう作家はそういるものではない。
会の最後に鈴木さんのご長女とご挨拶。「父が家でよく朝宮さんの話をしていました」とおっしゃっていて、うーんとこみ上げてくるものがあった。私こそ鈴木さんとお会いするたびに元気を分けてもらっていたような気がする。ホラー方面、鈴木さんのようなタイプの人はおらず、じわっとふわっと魅力的な感じの方が多いのだが、鈴木さんだけはドーンと後光が差しているような明るさで、最初は気圧されたけれども、お会いするたびに「こっちも暗くなってちゃいけないな」という気持ちになるのだった。あらためてご冥福をお祈りします。
で会を終えて(帰りのエレベーターは中田秀夫監督と一緒だった)そのまま品川経由で羽田空港へ。単身函館帰省である。家族に空港まで迎えにきてもらい実家のごはん。たまたま姉と甥もきている。姉にオーストラリアのかっこいいお土産(ガイコツの絵の書いてあるコーヒー豆など)をもらった。まだ小6なのに姉の子に身長を抜かされてしまったよ。足腰が弱っていると聞いていた老犬ラックちゃんは意外に元気そうで安心した。犬はかわいいね。


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