2023年12月3日日曜日

怪老人日乗:12月3日(日)

この日記、最近は「怪老人日乗」とシリーズ化して書き続けている。タイトルの由来だが、江戸川乱歩『孤島の鬼』の章タイトル「ふたたび怪老人」というのがやたら格好いいので、それからいただいているわけで、決して自分を怪老人と思っているわけではあんまりない。まあ一人称が「わし」で、「~じゃ」と語尾につけるような年寄りくさい幼稚園児ではあったので、そういう部分はなきにしもあらずだし、若者系/年寄系と大きく分けるなら、明らかに後者だろう。自分が元気なヤングマンだったという記憶があまりない。

しかし老成しているか、といえばそんなことはなくて、できれば老けたくないし、なんなら20代に見られたいという煩悩があるので、最近は白髪も染めてしまっている。駄目だ。怪老人失格だ。こんなことでは諸戸丈五郎(『孤島の鬼』に出ているマジもんの怪老人)に「喝!」と怒鳴られてしまう。しかし丈五郎のような人でなしに説教されるようになったら、それこそもう猟奇の果でオシマイであろう。

さて日記じゃ日記。今日は寒かったがいいお天気だった。そりゃそうだ。冬なのだ。当たり前のことは書かずに当たり前じゃないことを書きなさい。といかにも賢しらぶった文章読本的な意見が聞こえてきそうだが、ありきたりでもいいじゃないですか。寒かった暑かったと当たり前のことを書くのも大事なことではないですか、そうではないかね明智君。で、私は誰に向かって怒っているのでしょうか?

ええとですね、そんなわけで寒くて家にいたんですけど、いや、寒くて家にいたわけではなくて仕事があったから家にいたんですね。やることが細々とあり、ひとつは明日締め切りの解説仕事。これはちょっと珍しい仕事で英国心霊研究関連の資料をあれこれ書庫から出してくる。昔取った杵柄じゃないが、そもそも自分はオカルト専門家だった時代などないのだが、まあその手の話は好きであれこれ素人なりに読んでいたので、一般的な資料なら架蔵されているのである。

で作業をしながら資料をあれこれ広げていて、コリン・ウィルソンの『オカルト』『世界不思議百科』などをずいぶん久しぶりに開いた。コリン・ウィルソン、好きだったよなあ。私は「鬱になったらコリン・ウィルソン」という持論があって、元気が出ない時、自分が駄目だと思えてしまう時、コリン・ウィルソンを読んで何度も元気を出していた。

コリン・ウィルソンの守備範囲は文学、哲学、音楽、犯罪、オカルトと多岐にわたるが、その主張は一貫しておりかつ単純で、多くの現代人は悲観主義に陥っており、真の人生を生きていない、ニーチェやニジンスキーなどアウトサイダーと呼ばれる芸術家がそうだったように、あるいは超能力者や猟奇犯罪者がそうであるように、人は狭隘な現実の向こう側に突き抜けることができるのだ、というある意味楽天的なビジョンである。

コリン・ウィルソンはこのことを手を変え品を変え書き続けた。ある意味同じ歌を歌い続けた作家といえるが、その主張には揺るぎがなく、ちょっと融通が利かないところもあるのだがそこもまた愛嬌で、博覧強記の人であることは間違いなく、結論はいつも同じ感じになっちゃうのだが、それでもついつい読んでしまう魅力があった。ウィルソンはイギリス人だが美味いアメリカ牛のステーキを食べたら元気が出た、みたいな読み味の人である。

中でも『オカルト』はデビュー作『アウトサイダー』で“怒れる若者たち”として評価されたウィルソンが超常現象研究に本格的に深入りした記念すべき労作で、古今のオカルト現象を紹介しながら人間の可能性の拡大に広げていく話の持っていき方は実に面白く、興奮させられる。今久しぶりに読んだらあちこちに付箋が立ててあって、いや、やっぱりこれは面白い本だったよなあと思った。この本は大学の時に買ったもので、どこかの古本屋の店先(梅田だったか博多だったか)で紐で縛られているのを見つけて、いそいそと購入したのを覚えている。




今日は日曜なのでこれから笑点の録画を見る。再三書いているが私は生きていて楽しいと思えることが少なく、その数少ない瞬間が笑点の録画を見ている時なのである。そのほかは何だろう。あんこを食べている時、コーヒーを飲んでいる時、ナッツ類を食べている時、バイクに乗っている時。あ、結構楽しいことあるな。これだけありゃ人生万々歳だ。所ジョージなみの趣味人だよ。南無阿弥陀仏。

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