2023年2月15日水曜日

怪老人日乗:2月15日(水)

いやあ、久しぶりに借金を返して綺麗な体になった。といっても明後日にはまた別の〆切がやってくるし、お待たせしているアンソロジー、書き下ろしの作業もあるので完全にまっさらではないのだが、しかしまあ目の前で暴れ回っている〆切はすべて倒したので、2か月ぶりくらいに心穏やかである。というわけでJ・A・シーザーを聴きながら日記をつけよう。

昨日はかなり久しぶりにお仕事を自主的に休む。2月14日ということもあって奥さまと外出してきた。三鷹に出て三鷹市民ギャラリーで開催中の「合田佐和子展 帰る途もつもりもない」を見る。合田佐和子、ポスターや印刷物ではさんざん見ているが原画を見るのはこれが初である。とてもよかった。しかも空いていた。初期の廃品を使ったオブジェ作品から人形、そしておなじみのまがまがしい色調の油絵の時代、80年代のエジプト移住を経て、90年代の光の氾濫するような時期が訪れる。

いずれも素晴らしかったがやはり70年代の油絵と、シューゲイザー的な多幸感が漂う90年代の作品に心惹かれる。前者は映画スターの写真を模写して、それに色をつけたものが多いのだが(油絵は独学だという)それにしても色使いの不穏さ。怪奇幻想小説のアンソロジーのカバーに使いたくなるような絵がたくさんある。と思ったら『浴槽の花嫁』のカバー原画があって、おおと思った。あれもハリウッドの女優さんの模写で、原画を見るとそこまで禍々しくはない。というかそもそも合田佐和子は70年代、マスコミの寵児的な人気画家だったわけで、現代教養文庫もそこまで怪奇趣味的な感じであの絵を使ったのではないのかもしれない。印刷物にするとどうしても色がくすんで、より怖い感じになるのだよなあ。




80年代以降の合田佐和子で注目すべきは、たびたび空飛ぶ円盤を目撃し、自動書記を体験したうえ、「これからは12進法の時代がになる」という直感を得たという『ヴァリス』的なエピソードだ。そんな出来事があったとはまったく知らず。しかしエジプト移住以降の作品はさっきも書いたとおり非常によくて、なんなら70年代の暗い作品よりも好きだったりするかもしれない。見るシューゲイザーとでもいおうか。揺らぎと、多幸感と、神秘的な感覚とが入り交じった、それでいてフォルムのはっきりした絵。一貫して色彩感覚の優れた人だったのだなあと感じる。

唐十郎、寺山修司関連の原画も見られて大満足。三鷹市ミュージアム、心配になるほど空いていてお客は私たち2人のみ。とてもいい展覧会なので、ぜひ行ってみてください。で、お昼は山形酒田のワンタン麺をたべ、横森珈琲でお茶。バレンタインデーでケーキをいただいた。古本など見たかったけれど、子供が帰ってくるので急いで帰宅。それでも文具店や食器屋、雑貨店など見られたのでいいお散歩でした。ジェリービーンズをいれるためのガラス容器を探していたが、いいもの見つからず。合羽橋に行くか、通販で買うかあ。

という楽しい半日を経て、今日は朝から病院。人間ドックでひっかかった眼科、数年ごしでやっと行く。先日マンガ家の清野とおるさんが緑内障の初期が見つかったということを書かれていて、近視の強い自分もそうかもとにわかに不安になったのである。で結論からいうとなんでもなし。近視からくる陥没は少しあるものの、眼圧が平常値だから緑内障ではないでしょうとのこと。安心したが、ここで一句。「なにゆえに眼科の検査は高いのか」。数年前にも同じ検査をして思ったが、いきなり5000円くらいかかるので、ドッキリするのであった。

今日は風が冷たい。帰宅して家にこもって仕事。朝5時から作業していたのでお昼前にちょっと仮眠。午後もゲラ読みなど進めて、夕方隣駅まで散歩がてら図書館へ。山田うどんの店が「山田太郎」という店名に変わっていたけど、どういうことだろう。太郎を料理するのだろうか。九州に郵便出したら「届くのは月曜日になります」と言われて驚いてしまった。まだ水曜なのに。なんかみるみる日本沈没、という感じになってきたなあ。私は先のオリンピックの一連のあれこれと、コロナ対策(とりわけココアの運用)で割とはっきりそのあたりを確信してしまって、もう江戸文学でも読んで暮らすよりほかない。南無阿弥陀仏。

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