それにしても、自分がここまで仕事ばかりの人間になるとは思ってもみなかった。といっても原稿を読んだり書いたりは普段の生活の延長なので、そこまで仕事漬けという気もしないのだが、フリーター時代は夕方にちょろっと出かけて、夜まで働いて、帰ってきて心霊ビデオを見たり本を読んだりして朝方寝る、翌日は昼頃起きてぶらぶらする、という申し訳なくなるくらい怠惰な暮らしであったのだ。それにくらべて今の勤勉なことよ。一般に「好きなことを仕事にしてはいけない」というが、自分の場合、好きなことを仕事にしなかったらずっとあの怠惰なフリーター暮らしで、今ごろ相当ヤバかったのではないか……と背筋がゾクゾクしてくる。
さて。午前から外出。奥さまのお誘いで上野公園の東京都美術館。岡本太郎展を見る。すべて撮影可という太っ腹な企画で、作品との距離の近さにパブリックアートを志向した岡本太郎の遺志を感じるような。しかし岡本太郎がジョルジュ・バタイユ主催の秘密結社に参加していた、というのは評伝などでよく書かれている話だが(「夜の会」の由来になった作品「夜」はこの秘密結社の儀式がモチーフではないか、という見方もあるそうだ)一体全体どういう儀式だったのか。アーサー・マッケンが「黄金の夜明け団」に入っていたというのと同じくらい、「わたし、気になります!」な事案だと思う。
初期の「傷ましき腕」から太陽の塔、近鉄バッファローズの帽子まで、岡本太郎の人生を概観できる好企画。前々から思っていたのだが、岡本太郎の日本回帰、呪術的世界の再発見は、わが国のホラー小説において70年代以降、ジャパネスクなモチーフが再発見されていった軌跡と重なるような気がしていて、これはまだ単なる思いつきに過ぎないのだが、そういうことって、あるんじゃないですかねぇ……、と稲川淳二口調で呟いてみたくもなる。昨今のタローマン人気でその手のグッズも大量。物販コーナーで奥さまが獣みたいな植木鉢のピンバッジなど買う。
天気よろし。上野公園は修学旅行の学生、お散歩の幼稚園児などがたくさん。おじさんが棒からしたたる水で絵を描いていて、外国人が「ワオ」と言って眺めていた。池袋に移動してお昼食べ散会。
そのままジュンク堂へ駆け込み、仕事に必要な本をチェックする。買い逃していた新刊もついでに購入。池袋のジュンク堂、東京に出てきてすぐは割とよく行っていたが、その後吉祥寺ジュンクに浮気したり、新宿紀伊國屋で文化人ぶったりという時代を経て、またここに戻ってきた。やはり落ち着くのである。私に用がある人はメールなど送るよりも、ジュンク堂の3階に来てもらう方が早いかもしれない。そのくらい頻繁に行っている。紫色のマントを羽織り、床まで届くほど髭を長く伸ばしている男がいたら、それは私だ。
その後よく行くコーヒー屋に入って仕事諸々。パソコン広げてあちこちとメールのやりとり、企画書めいたものの作成。取材の依頼が入っていて(受ける方)ありがたい話なので引き受ける方向で返事。その他、連絡事項が大量にありそれだけで日暮れてしまうが、まだ今日は帰れない。飯田橋に移動して某月刊誌の作業。一通り終わったら21時ちかく。帰宅して22時だった。お夕飯、炒飯と水餃子など。
お夕飯を食べたら仕事はしないことに決めたので、本を読んだり原稿を書いたり、と思っていたのだが寒くて眠くて捗らず。結局「#ベストホラー2022」の途中経過眺めて寝てしまう。しかし順調に投票が増えているようで、ありがたいことである。兎のように淋し死にせずにすんでよかった。ところで兎が淋しくて死ぬというネタは、酒井法子の手話とあわせて忘却されつつあるようだが、私はしつこくそういうことを言い続ける人間なのである。「あたしの恐ろしいことが分かったか」(谷崎潤一郎)。キキキキキキキ……
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