私の父親はよく「大丈夫だ、命取られるわけじゃないし」という。こういうと非常に楽天的なラテン気質のように感じられるが、父親は暢気で大雑把なところがある一方、神経の細い人でもあって、若い頃は床屋が恐ろしくて店に行くことができず、わざわざ知り合いを呼んで家でヘアカットしていたというくらいの、ある種病的なタイプでもある。パーティや飲み会に行くと「具合悪いんですか」と尋ねられるほど黙りがちで、ラテン気質とはおよそ対極にある人だ。
その人がいう「命取られるわけじゃないし」は妙に説得力がある。なので、私もよくこれを呟く。今日も呟いていた。というのも年内の仕事をあらためて整理してみると、〆切がまだ13もあり、それがほとんど11月末から12月前半に集中しているのだった。合間に取材だの、打ち合わせだの、入稿作業だのがあるから、平日の昼間は思うように進まないだろう。そんな中で、このスケジュールをこなせるんだろうか、と思ったら心臓がドキドキしていて、思わず父の口癖を呟いてしまったというわけなのだ。
しかしまあ、これまでもこういう難局はたびたび経験してきて、今年の夏場もそうだったし、なんなら10月くらいもこれに近い状況だった気がする。なので慣れているといえば慣れているのだが、今回はどうにもきつそうな気がするのはなぜならん。あ、11月末までに、という仕事が重なっているからだな。そこはもう、若干延ばしてもらって散らすしかないね。
さて子どもが風邪を引いたという。シン・コロナとかインフルエンザーかと心配したが、どうもただの疲れからくる風邪のようだ。土日も野球、しかも土曜の夜はあらかわ遊園まで出かけていたから、疲れが出たのであろう。学校休ませる。
私はコーヒー飲んで外出。飯田橋某社にて月刊誌の作業。近くの肉屋で弁当を買う。こりゃいいや、メニューが揚げ物ばっかりだ。先日お会いした作家さん、「筋トレしていて、もう揚げ物は全然食べたくない」と言っていたけれども、そういうものなのだろうか。まあ、煙草も一度やめると憑き物が落ちたようになるので、その気持ちはなんとなく分かる。平凡な人間は多方面に依存して依存して、クンダバッファーによって世界から遮蔽され、グルジェフ的本質から遠ざかって生きてゆくものなのであろう。
午後2時で仕事切り上げ、練馬駅に移動。家族と合流して、練馬大鳥神社の酉の市まで。うちも自営業であるし、商売繁盛の熊手を買おうと思ったわけなのだが、聞くところによれば年々大きくしなければいけないというじゃないですか。びびってしまって(そもそも売ってる熊手は値段が分からないのよ)神社で出しているシンプルな小さい熊手をもらってかえった。近くの路地に露店たくさん出ている。いい雰囲気。花園神社が遠くなったので、今後はここに来るようにしよう。
家族と別れ、スタバーバックスに突入。ゾンビが出る時間までがっちり原稿書きとゲラ読み。店を出ると茫々たる薄ヶ原、土中より南無阿弥陀仏の声のみ聞こゆ。神韻縹渺。namba shi yotto――!
帰宅して21時。お夕飯、ポトフと白身魚のフライ(おう、また揚げ物)、五穀米的ななにか。原稿今夜中にひとつ終わればいいけれども、終わらなければすべてがガタガタ。終わったところで明日以降も一日ひとつあげなければならず、久しぶりに胃のあたりがキリキリしてきた。神経の太い私にしては、こんなこと珍しいのだけど。
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