2022年3月30日水曜日

怪老人日乗:3月29日(火)

昨日は夜中まで原稿やって、曖昧に横になり、むっくり起きてまた仕事。合宿生活のようである。外出といえば朝新聞を取りに玄関までいっただけ。それ以外はリビングでずっと原稿を書いていた。ブラインドもおろしっぱなしで、時間の感覚ほぼなし。これじゃ日記としてはつまらないので、以下漫文。

自由業者の老後についてよく考える。私が20代の頃、第一線で活躍していた作家、評論家、ライターは1960年前後生まれの人が多く、当時40歳前後だっただろう。若い私には彼らの活躍が非常にまぶしく見えたものだったが、華々しい活躍をしていた彼らのどれだけが今も同様のポジションを保っているだろうか。

特によく考えるのは唐沢俊一氏のことである。90年代末の唐沢俊一といえば飛ぶ鳥を落とす勢いのライターで古本、雑学、貸本漫画、B級カルチャー、オカルト、官能と幅広いジャンルで活躍しており、著作数もかなり多かった。私も大学時代によく読んだし、文化系な本好きなら誰でも一冊は読んでいたような気がする。『ユリイカ』などへの寄稿も多かったし、『ダ・ヴィンチ』でも年末に翻訳ホラー小説を紹介するなど(タビサ・キングを紹介していたのを覚えている)、「アングラっぽいカルチャーならまずこの人」という認知のされ方をしていたと思う。

しかし現在、その唐沢氏の著作がどれだけ書店に並んでいるかといえば――ほとんど並んでいないのではないか。この事実にぞっとさせられる。文筆サバイバル術を指南していた唐沢氏にして、時代を超えるというのは難しい。もちろん例の『新・UFO入門』の問題以降、唐沢氏をめぐる状況はそれまでと変化したし、インターネットの普及によって「何でも知っていそうな人」というポジションの需要が急激に失われたという事情もある。ご本人もそうした中で仕事の軸を出版から演劇に移していったようだから、半ば望んでそうなった部分もあるのかもしれないが、それにしてもねえ、という気がしないではない。

夢の印税生活なんていうが、よほどのスター作家でなければ著作が20年も増刷され続けるなんてことはないわけで、延々新しいものを書き続けないといけないのが物書きという因果な商売である。著作が書店の棚から姿を消すのは一瞬。その圧倒的無常観よ。もちろんいい仕事をすれば時代を超える確率は多少増えるだろうが、だからといって確かな話はどこにもないのである。

そんなすさまじい世の中でどうすれば20年以上サバイヴできるのか、どうすれば老後まで到達できるのか、ということについては明確な答えはない。流行廃りのある世の中であるから、専門分野がひとつより二つ三つあった方がいいとは思うが、だからといって多いからいいというものでもないし、そんなに器用な方でもないしなあ。

そもそもライターという仕事は何歳までできるのか。関西で活躍されている吉村智樹氏のように還暦近くなってもフットワーク軽くガンガン仕事をされている方もいるが、多くは裏方に回ったり、転業したりしているのではないか。少なくとも70歳まで続けるのは難しいだろう。答えはいまのところ見つからず、「どーしましょっかねえ」と呟くより方法はないのだが、結局のところ根がいい加減なので、なんとかなるでしょう、とも思っているのだった。なんとかならない時は転業します。誰か雇って!

その頃、家族は奈良公園へ。かわいい鹿と巨大な仏を見てきたらしい。楽しそうでいいわね。原稿今日中に終わると思ったが終わらず。深夜に息切れ。お風呂に入って髪も乾かさずにドタリと寝る。





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