2014年4月23日水曜日

『怪談狩り 市朗百物語』




フリーライターとか書評家とか呼ばれる仕事をしていて、何が嬉しいって、まだ発売されていない新刊本のゲラ(校正刷り)を一足先に読ませてもらえることほど嬉しいことはない。
それが長年憧れてきた作家の新刊であれば、なおさらだ。
 

中山市朗『怪談狩り 市朗百物語』のゲラを編集氏から受けとった私は、「嗚呼、ライターになってよかったなあ」としみじみ感じ入ったのであった。


『怪談狩り』は「新耳袋」シリーズの著者のひとり、中山市朗による怪談実話集だ。
前作『怪異実聞録 なまなりさん』の刊行が2007年だから、怪談実話としては実に7年ぶりの新刊ということになる。





「新耳袋」については、詳しく述べるまでもないだろう。

木原浩勝&中山市朗によって書かれた怪談実話集で、シリーズ第一作『新・耳・袋 あなたの隣の怖い話』は1990年扶桑社より刊行。
1998年には『新耳袋 第一夜』とタイトルをあらためメディアファクトリーより復活。2005年刊行の完結編『第十夜』まで、実に990話もの怪異譚を世に送り出し、怪談実話ブームの火付け役となった。


では、「新耳袋」シリーズのどこが革新的だったのか?
さまざまな意見があるだろうが、メディアファクトリー版をほぼリアルタイムで読んでいた一ファンとしては、こう答えたい。
端的にいって、恰好よかったのだ、「新耳袋」は。


「新耳袋」が出てくるまで、怪談というジャンルは〝霊能者〟〝オカルト〟〝水子の祟り〟といったタームと結びつきがちな、いかがわしいものだった。それこそ宜保愛子や織田無道の心霊特番の世界と区別がないような、フリンジなカルチャーだったのである。
(もちろんそれが悪いといっているわけではない。中岡俊哉やつのだじろうは私も好きだ)


「新耳袋」がそのイメージを変えた。
あえて解決を付けずに事実だけを放り出すという叙述法は、怪異体験を「宗教」や「心霊研究」から解放してみせた。
ささやかな現象をあえて採用することで、読者のすぐ近くにある異界に目を向けさせた。
抑制されたスタイルと周到な作品配列は、実話もまた作品であるという事実にあらためて気づかせてくれた。


「新耳袋」が登場するまで、私たちは怪談実話が文芸書の棚にならべられるなど、ほとんど想像もしていなかったのである。
このシリーズが成功したことで、怪談実話というジャンルは本好きにとって、B級でいかがわしいものからクールなものへと転換した(祖父江慎によるブックデザインも無視できない要素だ)。怪談実話を志す書き手が「新耳袋」以降、陸続とあらわれたのがその証拠である。恰好いいものは真似してみたくなる。音楽にしても、映画にしても、文学にしてもそうだ。怪談実話を恰好いいものと提示してみせた「新耳袋」シリーズは、まさしくコロンブスの卵だった。





話を戻そう。
「新耳袋」の著者のひとり、中山市朗氏にインタビューしませんか、というお話をもらって新刊『怪談狩り』のゲラをいち早く読むことができたのだった。


「新耳袋」とも違う、『なまなりさん』とも違う、怪談ライブによって練り上げられた現在進行形の中山スタイルを堪能できる怪談がこれでもかと収められている。

ときに怖ろしく、ときにしんみりさせられる怪異談に混じって、中山氏自身の体験談も収められている。あの藤山寛美が幽霊を見たという話など、怪談によって芸の都・大阪の過去を蘇らせるような試みもある。
そして、何より語り口に魅力があるのだ。 よくできた怪談実話は何度でも読み返したくなるものだが、この作品はまさにそう。ゲラで2度読んだが、本になってからもきっと折に触れて手に取ることになるだろう。
ベテランが満を持して放った、これぞ混じりっ気なしの正統派怪談実話集である。



なんとかインタビュアーの役目を無事果たすことができ(緊張しましたが)、記事も書き上げた。
インタビュー記事は『ダ・ヴィンチ』6月号(5月初旬発売)に掲載される予定なので、ご覧いただきたい。怪談実話作家・中山市朗の復活を宣言する、力強い言葉が踊っているはずだ。


この『怪談狩り』以降もどしどし怪談実話を書かれるそうなので、長年のファンとして本当に愉しみである。







中山市朗『怪談狩り 市朗百物語』(KADOKAWA メディアファクトリー/5月9日発売!)



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