三連休最終日。なんだか最近三連休が多い気がしませんか。カレンダーの並びがいいのか、誰かがそのように調整しているのか。誰かって誰だ。宇宙人か。
といわけで三連休なのはありがたいのだが、その間に仕事を進めねばならないのがフリーの辛いところで世間様と同じように休んでいては、だーだーだーと赤ちゃんのようになってしまうのである。意味がよく分からない喩えだって?わたしにも分からない。すべてがミステリーである。スリラーである。
ええとですね、で昨日は図書館に行きまして重たい資料をあれこれかり出してきて、家族が誰もいなかったのでお昼を作って食べて、そこから大麻じゃない、タイマーで時間を計って仕事を進める。あれこれ手を広げて少しずつ全体に進めた感じで、まあだからこれが完成したとか、あれが脱稿したとか、そういうことはない。しかし全体に少しだけノルマが減ったので気分は若干楽である。
今日もこの感じで行きながら、遅れているエッセイ原稿を仕上げよう。なんというかですね、原稿が遅れていると背筋のあたりにジーッと視線を感じるようで疲れるんですよね。『まんが道』でもテラさんが「〆切に遅れるとすごく疲れるだろ」と言ってましたが、本当にそうで。しかし分かっていながら遅れてしまうのは手が速くないのとキャパをオーバーしているから、なのでしょうか。しかし昨日大伴昌司の仕事リストを見ていたら、いったい一ヶ月に何個特集を掛け持ちしてんねん、という仕事量であって、すごい人はすごいのだなあと思った。
ところで皆さんは配信で音楽を聴いているのだと思う。わたしもSpotifyやYouTubeで聴いたりすることもあるが、結局のところCDで聴いてしまっていることも多い。選択肢が多いと迷いすぎて、頭がごちゃごちゃしてくるのである。スティーヴ・ジョブズは洋服を一種類しか持っていなくて云々、というどうでもいい話をあたかも美談のように言うビジネス書の作者が多いですけれども、そしてあのエピソードは別にどうとも思わないのですが、しかし選択肢が多いと頭が混乱ショップになるのは確かで、ご飯とかも迷って何も食べられなくなる、ということがわたしの場合、あったりします。
そういう人間のですね、まあ特性というのかもしれませんが、それを理解したうえで仕事を進めないといけないので、ネットでタイマーを買いました。時間が視覚的に把握できて、子どもが宿題とか歯磨きとかをちゃんとやれるようになるやつ。今日届くようです。
さて芸術の秋ですよ。マジソンスクエアガーデンで歌ったり踊ったりしたいけれども、そんな機会もないし、粛々と仕事をやりますよ。甘い物はほとんど食べていない。こんなことは人生初かもしれない。といっても完全に絶ったわけではなくて、人からもらったときとか、お土産でケーキやたい焼きがあるときなどは食べます。自主的に習慣的に買うのを控えているわけ。体を壊して甘い物を食べられなくなったら、人生の楽しみの半分が減るのでねえ。
今朝聴いているCD。沢田研二『ア・ワンダフル・タイム』、ミック・ロンソン『プレイ・ドント・ウォーリー』。どちらも華やかなのにメランコリックでとても良いアルバム。楽しいのに胸が痛くなるほど淋しい、そんな楳図かずおのマンガのような世界がわたしは好きなのです。皆さんもきっとそうでしょう。
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