2019年9月24日火曜日

藤野可織さんにインタビューしました(於ホラーワールド渉猟)


ツイッターを見ず、このブログのみ読んでいる方は、ご存じないかもしれません。
朝日新聞社運営のブックサイト「好書好日」にて2018年の初夏から〈朝宮運河のホラーワールド渉猟〉という連載企画をやらせてもらっています。

https://book.asahi.com/series/11014826

更新は月3回。その月の断然推奨本をレビューする1回目、話題のホラー・幻想系の書き手にご登場願うインタビュー企画の2回目、ホラー関連の動向をテーマを設けた時評で探る3回目、という内容で、土曜日の午前10時に更新(1回目と2回目の間には1週間お休みをはさみます)。


仕事の遅い私にとって、月3回の記事更新はなかなかハードですが、それでもホラー関連の動向をすべて伝えるには足りないくらい。 連載開始前「毎月そんなに紹介する本があるかな」という一抹の不安があったのですが、まったくの杞憂でした。


毎月、国内小説&翻訳小説、新作&復刊を合わせると、相当な数のホラー・怪奇幻想関連の本が出て、しかもその多くが「必読!」「読んで損なし!」「積んどいて損なし!」レベルの秀作なのですから(もちろん「うーん…」というものもありますよ)、これは紹介し甲斐があるというものです。出版不況が叫ばれる昨今、熱心なファンのいる怪奇幻想小説は、少しずつですがマーケットを広げているようにも思えます。


で、新刊書評、インタビュー、時評の三本柱でやっている〈ホラーワールド渉猟〉ですが、実は一番こだわっているのが、作家インタビューだったりします。


ミステリーなど他ジャンルと比べて、怪奇幻想系の作家さんはあまりメディアにインタビューが載る機会がありません。優れた作品が出た際、ブックレビューで反応するのはもちろんですが、書き手自身の声もできるだけ記録しておきたいな、というのがインタビューにこだわる大きな理由です。私は古い雑誌を読むのが好きなんですが、そういうのに載っている著者インタビュー、後から読むとすごく貴重な資料ですからね。
もちろん後世のためだけでなく、リアルタイムの読者にとっても、書き手の創作論と人となり、ホラーや怪奇幻想方面への思い入れや読書遍歴を知ることは、この上ない楽しみであろうと思いますし。


怪奇幻想作家へのインタビューとしては、東雅夫さんの『ホラーを書く!』『ホラー・ジャパネスク読本』、さらにはその東さんが編集長を務めていた雑誌「幻想文学」の名物コーナーであった「一書一会」という先駆的な試みがあり、私もこれらの企画に大きな影響を受けています。


そうそう、ウェブ媒体ということでは忘れちゃいけない、同じく東さんがオンライン書店ビーケーワンで担当していた怪奇幻想系のインタビュー企画。こちらもデビュー間もない乙一さんが登場するなど、紙媒体とは違ったフットワークの軽さがあり、毎回面白く読んでいました。〈ホラーワールド渉猟〉への直接的な影響としては(同じウェブということもあって)この企画が一番大きいかもしれません。


そんなわけで、〈ホラーワールド渉猟〉では第1回の飴村行さん以来、これまで十数名の小説家・マンガ家の皆さんにご登場願っています。ホラーを中心に、SF、ミステリー、純文学系まであえてレンジを広く取っているのは、狭義のホラーに限定してしまうと扱う作家さんがごく少数になってしまうから。ホラーという語を安易に使うのは気が進まないのですが、 この連載では「怪奇幻想文学&マンガ全般」をホラーワールド領域として扱うことにしています。


さてさて。えらく前置きが長くなりましたが、第16回目となる今月は藤野可織さんにご登場いただきました。

https://book.asahi.com/article/12728224

『爪と目』で芥川賞を受賞された藤野さんですが、実は大のホラー・怪談好き。
そうした趣味嗜好は、恐ろしくも可笑しい心霊写真小説「今日の心霊」(『おはなしして子ちゃん』)や、スラッシャーホラーの影響が濃厚な「ファイナルガール」(『ファイナルガール』)などの短編小説にすでに現れていましたが、初のエッセイ集となる『私は幽霊を見ない』(KADOKAWA)ではさらに一歩踏み込み、恐怖と怪異の世界を正面から扱っています。
これは「新耳袋」シリーズによって怪談実話に開眼し、竹書房系の新刊までめざとくチェックしているという藤野さんが初めて挑んだ、怪談実話本なのです。




とはいえ、そこは奇想に富んだ作風で知られる藤野さんのこと。「幽霊を見ない」というフィルターを一枚噛ませることで、オカルトとも絶妙な距離感を保った、独自の世界に到達しています。
怪談実話ジャンルには、いわゆる「視える」方の書いた作品があります。藤野さんはそれとは対照的に「見えない」と言い切っている。自分には見えないものが、どうもこの世にはあるらしい、それを見た人たちもいるらしい、くらいのスタンスでそろりそろりと怪異の世界を扱っている。


その手つきが、壊れものを扱うようで良いんですね。喩えていうなら、食べたことのない外国料理の味を、さまざまな証言や資料をもとに再現しているみたいな。その奇妙なバランス感覚は、これまでの怪談実話にはあまりなかったもの。
軽みとユーモアをそなえた文体も素晴らしく、結果として「幽霊とともに暮らす人類」というものの奇妙さを、ぼんやり浮かびあがらせることに成功しています。


今回のインタビューでは、藤野さんの恐いもの好きのルーツや、恐かったもの、怪談実話を執筆するうえで気をつけたこと、などについてお話を聞くことができました。


印象的だったのは幼少期、いとこのお姉さんの家でホラーマンガ(山岸凉子など)をたくさん読んだというエピソード。てっきりそのお姉さんがホラーマニアだと思っていたら、後日「普通の少女マンガもたくさんあった。可織ちゃんがホラーばかり選んでいた」と言われてしまった、という話には大笑いしました。三つ子の魂百まで。
こういう(普通の文芸誌ではあまり載らない)エピソードを発掘できるのも、〈ホラーワールド渉猟〉ならではかなと思っております。


そのほか、文豪の幽霊が出ることで有名な「新潮社クラブ」に泊まった際のエピソードなど、楽しいお話がたくさん飛び出したのですが、もっとも感銘を受けたのは「フィクションは『怖ければ怖いほど価値がある』となぜか思っているので」というひと言。「怖ければ怖いほど価値がある」!
ホラーは嫌いだとか、怖いのは苦手だかという反応にすっかり慣れっこになっていた私にとって、この藤野さんの発言は、高僧に警策でバシッと叩かれたような嬉しいショックでありました。そしてこの発言は、藤野作品を読み解くうえでも重要な鍵となるものでしょう。
今回のインタビュー、ホラー&怪談実話好きはもちろんのこと、あまりホラーは好きじゃないけど藤野可織さんの変わった小説は大好きだよ、という方々にとっても興味深いお話が詰まっているのではないかなあ、と思っております。


ちなみに、藤野さんと私は大学・大学院が一緒でして(数年離れていますが学部まで一緒)、もちろん当時は面識がないのですが、図書館や学食などではすれ違っていたのでしょうね。なので『私が幽霊を見ない』で紹介されている写真部の怪談も「ああ、あそこが舞台か」と状況がよく分かりました。
今ではすっかり新しくなっちゃいましたが、ラウンジのあった学館って、昔のホテルみたいで暗かったんですよねー(個人的には、その脇にあった中華料理屋「ニュー北京」の思い出が強いですが)。


最後に思い出の写真を一枚。
藤野さんと私は今はなき怪談雑誌『冥』で、同時期に怪談の連載をしていたのでした。これはその創刊号の目次。今から7年前!懐かしいどころか、当時の記憶がほとんどない。
 



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