2017年12月16日土曜日

怪老人日乗:12月14日(木) 澁澤龍彦 ドラコニアの地平

快晴されど風冷たし。
いつもより少しだけ早く起きて、10時から取材一件於白金高輪。しかし集合場所で待っていても担当さんが来ない。電話してみると「……やぁべっ!」と切迫した悲鳴が聞こえた。取材日を勘違いしていたらしい。というわけで一足先に取材スタート。しかしさすが都心に会社がある人は違う、30分ほどの遅刻で担当さんやってきた。小一時間でなんとか終了。


地下鉄で飯田橋に移動、某月刊誌の仕事2時間ほどやって、夕方大急ぎで京王線芦花公園駅へ。会期ぎりぎりで世田谷文学館「澁澤龍彦ドラコニアの地平」を見に行ってきた。世田文に来るのもずいぶん久しぶりである。日が暮れていることもあって駅からの道のり、ほとんど初めて歩くような気がする。


澁澤没後30年を記念して開催されたこの企画展は、その文学活動を「澁澤スタイル」と総称し、初期の翻訳から代表作となったエッセイ、晩年の小説までをふりかえったものだ。300点をこえる草稿・原稿・創作メモをはじめ、サドやブルトンなどの愛蔵書、一度は捨てられたものを龍子夫人が回収した愛用のフランス語辞書、長年澁澤邸に飾られてきた美術品やオブジェ、多くの書簡、さらには少年時代の家族写真やパスポートなど普段あまり目にすることができないものまで、テーマに沿って展示する。
テーマに沿ってとは言ったけれど、澁澤の文学は終わりもなければ始まりもない、最初から完成している体のものなので、この展示も終わりがない。最後が最初につながっている。
時間を気にして一通り見終えたのち、あとは閉館までぐるぐる何周もしながら見た。いつまでも永久に遊んでいられるのは、澁澤の文学そのものである。他の来場者も同じ気持ちなのか、見終わっても帰ることなく場内を歩きまわっている。


なかでも大量の生原稿がやはり圧巻であった。柔らかいエンピツで原稿用紙に書き(200字詰めのことも400字詰めのこともある)、そこに万年筆で加筆して完成、というのがお決まりのスタイルだったようである。澁澤の流れるような、それでいて隅々まで目配りのきいたあの文章というのは、なるほど「第一稿をさっと書く」→「細かいところを万年筆で修正」という二段構えが生みだしたものなのかと納得した。
とくに興味深かったのが「うつろ舟」などの小説のアイデアノートで、小説の骨になるアイデアの他、登場人物のセリフ、引用する文献などがこれまた鉛筆でラフに書き付けてある。作品によるが白い用紙で平均5、6枚といったところだろうか。意外に多いような気もするし、少ないような気もする。まあ大きな組み立ては頭の中にあるのだろうから、このくらいのメモでちょうどいいのだろう。
澁澤の字は読みやすいけれど決してうまくない。いわゆる文豪の書いた字(毛筆でさらさらと揮毫するような)とはかけ離れたイメージの、丸まっちくて小学生男子が書いたような文字である。これもまた成熟や老成ということととは無縁に生きた、澁澤らしい特徴といえるのだった(余談だが今日では東雅夫氏も同じような丸文字を書く)。


『高丘親王航海記』に続いて予定され、澁澤の死によって幻の作品となった『玉蟲物語』の詳細なアイデアノートも展示されていた。「魔界の眷属たくさん出てくる」などという言葉が踊っている。完成していたらどれほど可愛らしく幻想的な作品になっていたか。これはちょっと胸にくるものがあった。
閉館時間となり、記念にポストカードを2枚買って帰宅。もう一度見に来たいが、会期は17日までなので無理だろう。一度でも見られてよかった。




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