2014年9月28日日曜日

怪老人日乗・その7 「人の親となる」


また間が空きました。
この間、何をしていたかといえば。
人の親となっていたのである。


つまり子供が生まれたのです。


出産日は9月某日にとつぜん訪れた。わたしは泊まっていた友人宅から、大あわてで産院へ直行。
そのまま妻に付き添い、分娩室まで同行した。その日の夜には無事生まれたので、お陰さまでスムーズな出産でありました。


さて。
赤ん坊というのは、泣きながら生まれてくるのである。
ただしくは生まれて数秒間沈黙があって、やおらオギャアと泣き声をあげるのだが、それを見ていたらなんとも形容のできない、もの哀しい気持がこみ上げてきた。


赤ん坊の泣き声には深い意味はなく、ただ動物的な反応として泣いているだけなのでしょう。
いや、そうなのにちがいない。
しかし、わたしにはどうしてもそう思えなんだ。


大げさな言い方になるが、赤ん坊が自らの存在、人類の存在、宇宙の全存在を、小さな体で直感して、戦慄して、畏怖して、それを悲しんでいるようにしか思えなかった。わが子よ、お前まで泣くのか……大人が泣いているのと同様に……と、まあ、そんなへんてこな気持になったのである。ただもう、あのときは無性に哀しかった。




悪意と深淵の間に彷徨いつつ
宇宙のごとく
私語する死霊達

(埴谷雄高『死霊』)



 
もちろん。
そんな気分はすぐに過ぎ去って、赤ん坊を抱かせてもらう頃には、心中あたたかなものが広がったのだが、あのくしゃくしゃの泣き顔を見た瞬間の、なんともいえない気分、奈落の底へ落ちこんでゆく宇宙飛行士のような気分はいまだに忘れがたい。
たいへんな思いをした妻には、「悠長なこと言うな」と怒られてしまいそうだが、とにかくそんな気持になったのである。
わたしは大切なことをすぐに忘れてしまうので、あえてここに書いておく次第。



さて。
そんなわけで、家族が増えたのである。
怪奇幻想ライターの父と、元アングラ劇団女優の母。その間に生まれた子供は、果たして『オーメン』のダミアン君のように育つのか、あるいは、両親に反発して野球でもはじめるのか?
なんにせよ、これまで以上に仕事をきっちりして、子育てをしていかなければならない。


皆さん、ご支援をよろしくお願いいたします。







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