もう11月じゃないか!というわけで朝起きてご飯食べ、午後のトークイベントの支度。『幽』関係の紙資料で手元に残っていたものをトートバッグに詰める。関連書籍や雑誌もあれこれ。結局私のトークイベントのスタイルというのは、あれこれ本を取り出して見せるという形になるのであるなあ。ROLLY「虹をつかんだお話」を聴きながら支度完了。秋はこの曲をよく聴く。とってもロマンチックでいい。
外出までの2時間で文庫解説書き上げてメール送信。へえ、なんだか妙に時間がかかってしまった。身繕いして11時すぎに家を出て神保町、古本まつりをすこし眺め桝井寿郎『近代怪談集』なる本を発見して、巻末に水木しげるの鼎談が載っているというので欲しかったがやや高くて買わず。今調べたら鼎談部分の抄録は東雅夫編『私は幽霊を見た』に収められていることが判明し(読んでるじゃん!)あわてて買わなくてよかったなあと思ったのでした。困った時の東さん本である。
明大の向かいにできた妙に豪華なエクセルシオールでホットコーヒーを買い、13時くらいに古書会館入り。京極さんは11時くらいに来られていたそうで、ならもっと早く来れば良かったと思った。トークイベントの整理券、早い人は朝の7時半から並んでいたという。すごいなあ。似田貝さん、私より後にやってきた岸本さん交えて、だらりんだりんと雑談していたら出番。14時からトークイベント「怪談専門誌『幽』創刊から22年」。登壇は京極さん、岸本さん、似田貝さん、私の4人。
開始5分前、前説で京極さんがいきなり語り出す。例年ならKADOKAWA岡田さんが前説を務めているそうだが、京極さんが携帯電話は音が鳴らないように、とか言っているのがおかしい。その後私を呼び込んでくれたのはいいけれども「宇宙人は生きているでおなじみの、朝宮運河さん」という紹介でXを見ていない人はまったくもって意味不明であったろう。京極さんから「72年からトークを始める」とうかがっていたので、どういうことかなと思ったら、1972年の『幻想と怪奇』創刊から『怪』『幽』『怪と幽』までの50年のお化け系マガジンの系譜を、ずらーっと語り尽くす一大叙事詩であった。京極さん、メモも見ずにすらすらと講談のように語る。私は横で感心しつつ、合いの手を入れたりなんだり。
1980年代、『帝都物語』が大ヒットした荒俣宏と水木しげるが出会って、境港が妖怪での町おこしを考えて、水木しげるが自力で雑誌を出そうと考えて、その頃並行して雑誌「幻想文学」が生まれて、90年には扶桑社版『新耳袋』が出て、94年には『ダ・ヴィンチ』、京極さんのデビュー、ホラー大賞創設などが重なって……というあたりをあらためて聞くと、ほんとにいろんな偶然の連鎖で今の怪談、妖怪シーンができあがっているということがよく分かる。どこかひとつのピースが欠けるだけでも今の形にならない(そういう形で歴史をふり返っているのもあるけど)ので、面白いもんだなあと思いました。
で怪談之怪結成のあたりで岸本さんが登場し、恐山の売り子のあたりで似田貝さんが登場。まあこのあたりは比較的よく聞いている話である。私が白いタンクトップを着て似田貝さんに挨拶にいった、という話は何度聞いても不可解で、今日もやっぱり解決の糸口は見えなかった。なんなんだ。『幽』創刊前史がほとんどだったけれども、『日本ホラー小説史』と重なる部分がありつつも、私も知らなかった部分(特に境港の町おこしの動きや、水木しげるが『怪』を出そうと思った経緯など妖怪方面)も多くて、なるほどーというポイントの多いトークでありました。
トーク後物販コーナーに降りていって『逃げられない』『こんなはずじゃない』にサインを入れる。持ち込まれた分は完売したようで嬉しいことであった。私のイベントによく来てくださる方々の姿もあって、たいへん心強かったです。何だか授業参観のような気持ちになりましたが。しかし『幽』のTシャツを着て登壇したのに、ほとんど気づかれなかったのではないだろうか。もっとアピールすればよかった。ただの「暑がりで11月でも半袖を着ている人」になってしまった。
片づけして近くの小さなお店にぞろぞろと移動。門賀美央子さんも交えて十数人で打ち上げ。誰が病気したとか亡くなったとか、そういう話も増えてきたお年頃であるが、まあこうして『幽』方面の仕事を続けていられるのはありがたいことである。少し呑んで帰るという門賀さん、郡司さん(元『怪』)、岸本さんと別れて帰宅。文庫解説その2をちょっと書いて寝る。
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