ところでニュースを読んでいたら、というかXを見たらそういう記事が流れてきたのだが、いま警察にいたずら電話をかけて「少林寺!」と叫ぶのがはやっているそうだ。今日のニュースでは三重県で「少林寺!」と交番のテーブル上で踊り騒いだ若者がいたそうで、逮捕されたという。そりゃそうだ。そこで「ああ、素晴らしい舞いでしたよ。感動しました」という警察官はいないだろう。多分いない。いるかもしれない。まあちょっと覚悟はしておいてほしいが、最近ではいないだろう。
警察からしたらいい迷惑な流行だろうが、私はこれがちょっと面白い。どこから流行ったのかが分からないという。TikTok由来だという話だが、そもそもどうして少林寺なのかも不明だという。これは幕末のエエジャナイカとか、戦時中のくだんにまつわる流言飛語とか、口さけ女の都市伝説とか、そういったものを思い起こさせる。後年、2026年という時代をふり返ったときに、この少林寺ブームはなんらかの社会的な意味を見出されることになるのではないか。少なくとも私にはそんな現象のように思われる。私がユングなら深い意味を見出すところだが……ユングどころか湯上がりのカエル人間のような眠気だから、いまは何も考えられない。
さて、日記を付ける。今日は一日家にいた。帰省の疲れが出てどうにもだらだらしてしまい、頭に身が入らない。頭に身が入らないっていうのはおかしな表現だが、言い直す元気もないくらい眠いのだった。でも仕事をする。メールを戻したり、インタビュー記事の修正を入れたり、たくさん届いていた封筒を開封したりする。締め切りもあるが、土日でなんとかするから許してくださいの気持ちである。
岡崎武志『読書の腕前』(光文社新書)読んだ。正直「買ってもすぐには読まないだろうな」と思いつつ函館の古本屋で買ったのだが、ちょっと読み始めてみたらこれが面白くて、つるりつるりと釣り込まれるように最後まで読んでしまった。もっと実用っぽい本をイメージしていたが、全然違った。もっと渋くて、個人的な本だった。ずっと本を読んできたという岡崎武志さんがなぜ本を読むのか、本を読んだら何かいいことがあるのか、といったあたりの話から始めて、本の買い方、整理の仕方などを綴った本である。後半にある岡崎さんと本のつきあいを語ったパートがとてもいい。十代で父を亡くした岡崎さんが、庄野潤三を読んでふいに落涙するところとか、ぐっときてしまった。
岡崎さんは読めば読むほど知らないことが増え、読みたい本が増えるというようなことを言っているとおり、何でも読む人だが、小説は日本の純文学がメインのようだ。そこは怪奇系、エンターテインメント系ばかり追ってきた私とはちょっと違う。しかしこの本を読んでいて、岡崎さんと私の意外な共通点に気づいたのだった。岡崎さんは私の20歳上である。そしてこの本は20年ほど前に出ている。ということは、ちょうど今の私くらいの年齢でこの本を書いたということだ。しかも11歳のお子さんがいると書いていて、そこもうちとほぼ同じ。東京の多摩エリアに住んでいるのも一緒である。本の置き場にこまって家を購入して、地下室を書庫にしているというあたりも、私のパターンとよく似ている。毎月書評の締め切りが10くらいあるというのも、まあ同じようなものであろう。
というわけで余計に興味深く読んだ。もっと言うと、自分の今とこれからを考えながら読んだのである。自分は怪奇の世界で生きているしそれは今後も変わらないのだが、この先どんな本を書いていくのかなあ、というようなことを考えたりもした。いい本でした。さっそく岡崎さんの別の本を注文してしまった。
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