2023年11月24日金曜日

怪老人日乗:11月24日(金)

昨日は祝日でございました。吉原はこんなところでございました。ええとですね、祝日だったんだけどほぼ家で仕事。というのも今日(24日)に取材があるからで、そのための本読みがいっぱいあるからで、2冊を集中して読む。子供は野球の試合。

昔はパーティ的なところに出かけた翌日は、自己嫌悪と疲労で少しも動けなくなっていたものだが、彼は昔の彼ならず、年を取って図太くなったのだろう、今日も朝から元気なのだった。大勢の人と会ったが幸い風邪などももらってこなかったようで、よかったよかった。

日中、奥さまをバイクの後ろに乗せて30分ほど運転。野球の試合会場まで送る。私も見たかったけど時間なく、コンビニのイートインに駆け込んで本読み。運転していて奥さまに「2年も住んでいるのに近所の道を知らない」と驚かれる。まあそうなのである。私は仕事でずっと部屋にいるし、散歩するといっても家から半径500メートル圏内だから、どこにどう道が通じているのか、東久留米と西東京と清瀬と秋津と所沢と東村山がどういう位置関係にあるのか、いまだによく分かっていないのだ。運転するようになって、やっと少しずつ分かってきた。

今日は原稿〆切(時評)→取材兼収録というわけでそれなりに忙しいのだが、逃避して日記を付けている。今は朝の4時だが起きたのは0時半くらいだったか。10時くらいから仮眠して、3時間ほどでむっくりと死体のように起きたのである。こう言っちゃなんだが好書好日の原稿はいつもギリギリ進行で、よくもまあこんな感じで5年半も連載を続けてきたよと思う。

なにか面白いことはなかったかな。ゲラゲラと笑ってしまうような。ああ、年末になると割とみんなお笑いの話題をするのだが、わたしはお笑いを見ないのでよく分からない。分からないといえば世の中の大半が分からないので、格闘技も分からないし、歌番組も分からない。エンタメ系ライターとしていかがなものかと考えないでもないが、そもそも私ほど「エンタメ」という価値観とほど遠い人間もいないわけで、むっと黙り込んでいる坊さんとか、路傍で虚空を睨んでいる地蔵とか、死ぬまで一言も口をきかない深海魚とか、どちらかというとそういうジャンルのライターなのだろうと思う(そんなジャンルはない)。

ところで(この日記、「ところで」ばっかりね)最近は「推し活」というライフスタイルに対する疑問が少しずつ出てきたようで、もともとこの言葉が好きではない私としては、いいぜいいぜと思っているのだ。他人などを推して一体何になるのだろうか(適度なファン活動ならいいんですけども)。ふくろうの剥製とか、ナウマン象の化石とか、マゼラン星雲とか、そういうものを推すのなら分かるのだけど。人生の大事な部分を他人に預けて何になるのか。岡林信康じゃないが、それで自由になったのかい、である。しかし、である。推しという言葉が嫌いな私だけど、自分のことは推されてみたいのだ。みんな俺を推してくれ。推しまくってくれ……。地獄の果てまでぐいぐいと……。指圧のように……。よく分からんけど……。この裏腹な感情……。シェー……。

ちなみに皆さんご存じのとおり、私が苦手なもうひとつの言葉は「サウナ」で、大してヤングでもないエグゼクティブ方面の人たちがサウナがいいとか整うとか言っているのは、いかがなものかと思っている。黙って入ってくれ。かくいうわけでエンタメライターにはなれない人生なのでありました。喝。





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