2023年7月16日日曜日

怪老人日乗:7月16日(日)

東京はお盆ですね。その昔「オーイお盆だよ!」という曲を作ったことがあって、「俺の四股名はお盆丸、お前の船は日本丸」という歌詞だったのですが、お盆になるとそれが頭に浮かんできます。ところで函館のお盆は8月半ばで、ちょうど海で泳げなくなる時期と重なっていて、お盆に泳ぐと海に引きずり込まれる、みたいな話をよく聞きましたよね。

さて3日ぶりの日記である。私が日記を書くにあたって目標としているのは倉阪鬼一郎さんの『活字狂想曲』で、あれほど面白い怪奇系日常エッセイはないと思っているのだが、あの高みに到達することはできなくとも、孜々営々とくだらないことを書き続けねばならない。

んでですね、3日前の13日(木)は観劇、お招きいただきサイコシス『疫病流行記』をザムザ阿佐ヶ谷で観る。脚本寺山修司、演出森永理科。サイコシスの舞台を観るのは4度目、観るたびにアングラっていいなあ、という気持ちに打たれる。70年代日本アングラ的なドロリとした流れにありつつも、昭和感が濃すぎず、むしろパンク/ゴシックっぽさがあるのが実によくて。今回もとっても恰好よかったです。

寺山修司の演劇って、今やるのは結構難しいと思うんですよね。寺山の抱えていた問題意識が、現代の生活とは合わなくなっている部分もあるし。でも今でも響く部分、言葉の強さみたいなものは間違いなくあるので、そこをうまく射貫いている感じがしました。森永さんにどら焼きを渡して、國崎馨さんともちょっとご挨拶して辞去。ああ面白かった。




しかし演劇やってる人って、気合い入ってるよなあとつくづく思う。あらゆる文化活動の中でも、演劇はかなりハードコアな部類じゃないでしょうか。うちの奥さまもある時期演劇人だったけど、演劇で食えてる人ってほぼいないですからね。むしろ持ち出しの方が多いし、公演中はバイトができない。それでもやり続けるんだからすごい。

活字の人間ももっと気合い入れなきゃ駄目だな、原稿料の多寡でぶつくさ言ってたら笑われるな、と思いました(それはそれとして生活できないくらい原稿料が安い版元はいかがなものか…とも思うけど)。忘れちゃいけないアングラ魂。頭に一喝を食らったような気持ちで帰宅。阿佐ヶ谷まではバスで行ったけど、新宿経由で行くよりはるかに楽でした。今後はそうしよう。

14日の金曜日は朝2時半に起きて原稿2つ。午前に一つ、午後にもう一つ。夜もう一つやるつもりだったが体力の限界、記録も作れず、と横綱千代の富士の引退会見のような感じになって休憩。ジョー・ヒル原作の『ブラックフォン』半分まで観る。子ども視点の残酷なサスペンス。まるで日本の乙一が作ったみたいによくできた話。原作は読んでいるはずだが(『20世紀の幽霊たち』に入っているらしいので)忘却の彼方であって、新鮮な気持ちで楽しめている。

15日の土曜日は蒸し暑い一日で、人間がそのまま蒸しパンになるんじゃないかと思ったが、昼から外出。東京タワーの3階ギャラリーで開催中のイシズマサシ『あっちがわ』原画展に。イシズさんとは何かのきっかけでお知り合いになり、仲良くしていただいていたのだが、コロナ禍以降お会いする機会がなく、3年以上ぶりにご挨拶。原画展は怪談絵本の名作『あっちがわ』の原画が並び、絵本に登場する白目の少年・しろちゃんのパネルも。東京タワーという場所柄、いろんな人が覗きに来ていました。






その後、せっかく東京タワーに来たのだから展望台に登ろうということになり、どうせなら歩いて登ろうということになり、赤い階段を延々と。怪奇小説好きならマーガニタ・ラスキ「塔」を思い浮かべる光景だが、そんな想像をしている余力はなく、頭はガンガンするし、心臓は破裂しそうだし、膝は笑うし大変でした。アイスクリーム食べて休憩し(天上界の値段ですこし高い)さらに上の展望台まで。ここまで行くと海がよく見える。シン・ゴジラが来たのはあっちの方か、と位置関係を確認する。




お土産屋で子どもに木刀を買い与え(刀なら何本も持ってるのに!と奥さまに怒られていたが、おれも同じ本を何冊も買ってしまうので肩身が狭い)、夕方6時半には帰宅。夏休み先取りという感じの一日であった。その後書評の原稿を、と思ったけれどもどうにも暑くて捗らず、0時くらいには寝たように思う。そんなわけで今日。37℃まであがるというし、エアーコンをつけた部屋で粛々と仕事しているわけである。

世間では金曜に公開された映画『鬼魅多血輪童遺棄褸禍』が話題のようだ。タイトルをGoogleで日本語訳すると「幽霊の血の車輪の子供が放棄された不幸」だそうで、なんだか物騒な話である。

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