2016年10月23日日曜日

『本当に恐ろしいサイコ・ホラー読本』(その②)


「この項つづく」と書いたまま早一か月が経過した。
このブログは月刊誌だったのか? モモの時間泥棒でウラシマ効果が起きたのか? 言葉の意味はよく分からぬが、隔月刊とか季刊とか年刊でないだけいいとしよう。


して。
1999年に刊行されたムック『本当に恐ろしいサイコ・ホラー読本』の話題のつづきである。
このムックの目玉はなんといっても、「気鋭の業界人による放送禁止(!?)座談会」と銘打たれた記事「サイコ・ブームを徹底検証せよ!」だろう。







参加しているのは倉阪鬼一郎、和田はつ子、東雅夫の3氏。
倉阪氏といえば、当時「日本で唯一の怪奇小説家」を自称していた本格ホラーの権化である。『心理分析官』などのサイコ・ミステリーで知られる和田氏といったいどんな話題をくり広げるのか?と思って読んでみると、これがなんともスリリングかつ興味深い内容になっているのであった。


和田氏の考えるサイコ・ミステリーとは、殺人犯の心理描写ができるジャンルだという。その長所は従来のミステリーでは描ききれなかった殺人犯の内面に、深く潜りこむことができる点であり、ある意味では純文学に近い。
これは、倉阪氏の自らの「サイコ的なところ」を発散させるために作品を書いている、という発言とかなりの部分で重なり合うのであって、活動するジャンルは異なれど、両者のサイコ観はそれほど隔たってはいない(そんな2人がお気に入りにあげているのがルース・レンデルの作品だ)。


こうした共通了解をもとに、座談会ではミステリーについて、ホラーについて論じられるが、なかでも「サイコ・ホラー」というジャンル名に疑問を呈するくだりがいちばん面白かった。だって掲載書のタイトルが『サイコ・ホラー読本』なのに!
作品の構造によって「サイコ・ミステリー」「サイコ・サスペンス」を使い分けるべき、というのが和田氏の立場で、ミステリーのサブジャンルとして「サイコ・スリラー」と呼ぶのが妥当だろう、というのが倉阪氏の見解。どちらにしても、わざわざホラーと呼ぶ必要はない。
たとえば当時のベストセラーであった貴志祐介の『黒い家』はスリラーではあるがホラーではない、ということになる。


こうしたジャンルをめぐる議論は、90年代末にはあちこちで目にした気がするが、このところ(出版不況を背景に?)すっかりなりをひそめてしまった。
が、何がホラーで何がホラーでないのか、ホラーと他ジャンルの違いはどこにあるのか、本来ならば機会をみつけて論じていかねばならんのだ、わたしのような泡沫ライターであっても、となぜか倒置法で考えた次第なのである。


ほかにも。
和田氏が熱心なジョン・ソールファンであることが判明したり、倉阪氏が「ジャンル内ジャンルミックス」「モダン・モダン・ホラー」といった独特のタームを提唱して鬼才ぶりを見せつけたりと、90年代末国産ホラーブームの熱気を今に伝えるにぎやかな記事である。
まあ、復刻されるのは30年後くらいだろうから、興味のある方はぜひ古本屋で探してみてください。


最後に90年代末のホラー系ムックや雑誌を書棚から引っ張り出してきて掲載する。




これでも当時出ていたものの一部に過ぎない。
『日本版ファンゴリア』や『SCARED』などのホラー映画雑誌は上京時に処分してしまった。あんまり古本屋でも見かけないし、惜しいことをしたなと今にして思っております。(この項おわり)



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