2026年9月2日水曜日

怪老人日乗:9月2日(水)

文章仕事をするうえでAIは一切使っていない。唐突に何を言うのかと思ったかもしられないが、そういう内容をXに投稿しようとしたのですが、なんかあっちはいろんな意見が飛んできそうなのでブログに書いているわけなんですけれども。効率をあげるためには一部AIを使うのもアリだと思うんですよねえ。そこは使ってないから何とも言えないんですが、しかし私はインタビューのテープ起こしから構成作り、本文まとめ、リード文、見出しまで全部人力で考えております。

考えているからそれだけ時間はかかるわけで、やっぱり効率を考えると一部AIに……ってなる気持ちも分かるんですけども、それはやったら堕落するのが早い気がするなあ。もうこれでいいや、ってなるのはあっという間な気がする。だからなるべく使わない。別段非効率的な作業が尊いと思っているわけではないし(むしろずぼらだから効率的なのは好き)、アナログ至上主義ってわけでもないんですけど、文章を書くという作業、とりわけわたしがやっているようなタイプの文章についてはAIは使わない方が面白いような気がするんですよねえ。インタビュー記事ってのは割と生っぽい作業ですから、テープ起こしから構成作り、本文書きまですべての工程にわたしの判断が入りこんでくるわけで、そのいちいち入ってくる判断のノイズみたいなところが味になっているというか、大事なところのような気がしていたりもします。まあ他人からは「どっちでもいいよ」的な部分かもしれず、そうでなければいいなあと思っているわけなんですけども、自分にとってその微妙な差は大事で、そのなんか違うというところにこそ文章書きのアイデンティティがあるような気もします。まあ分からないけどねえ。少なくとも自分にとって楽しいのは今のやり方で、大変だけど、楽を取ってしまうとクオリティを二の次にしてしまいそうな気もするのですよね。というわけで当分AIは使わないでしょう。

あ、なんでAIのことを考えたか思い出した。昨日パソコンを買ったんだった。ノートパソコンの挙動がどうもおかしくて、いよいよ買わないといけないかあ、と。でもパソコンのことはよく分からないわけである。文章が書ければ基本いいのだけど動画編集もするだろうから、そこそこ機能がしっかりしていた方がいい。というわけで今使っているThinkPadの後継機で、同じようなクラスで動画もいじれるやつをAIに教えてもらう。これが非常に便利だった。向こうだって詳しいわけじゃない、ネット上のあれこれを検索して教えてくれているだけなのだが、自力で検索するよりずっと早くそれらしい答えを見つけ出してくれるので、こういう時はAIに頼るのもいいかもと思ったのでした。

さて前置きがめっちゃ長くなったけれども日記つけ。もう9月が始まっているんだよねえ。9月1日は終日原稿書き、8月31日は昼から取材。某作家さんのところで新刊インタビュー。ワニ絵を誉めていただく。30日はそのためのゲラ読み。1000ページくらい本を読んでしまった。あと4か月。きりきり背中のネジをフルに巻いてがんばりたい。ラブポーションで妖艶にシャドウ。



『怪と幽』23号出ました。鈴木光司さん追悼企画に寄稿。持ち回りの書評欄にも登板しております。戦後の横溝正史は面白さがよく分からないので、この特集を読んで再入門したい。乱歩に比べて横溝の長編推理小説は圧倒的に「大人」であり、社会性があって人間が中心にいるので、どうにも入っていけないのである。今読むとまた違うかなあ。念のため言っておくと横溝のすべてが苦手というわけではなく戦前の怪奇小説、「面影双紙」「蔵の中」「舌」「かいやぐら物語」「鬼火」そして「髑髏検校」なんかは大変に好きなのだ。この頃の横溝は子どもっぽさがある。

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