2024年7月26日金曜日

怪老人日乗:7月26日(金)

友成純一氏の訃報。最初に読んだのは何だったろうか。おそらくちゃんと読めたのはアウトロー文庫の『獣儀式』なのだが、それ以前から伝説的な名前は伝わってきていて(主に綾辻行人氏、竹本健治氏の文章から)断片的に文章は読んでいたような気がするな。やっぱり印象深かったのは『ウロボロスの偽書』の作中人物としての姿だろうか。あ、作品を読んだのは角川ホラー文庫の『幽霊屋敷』が最初か。当時はあれを読んで、うーん、よう分からん、河童が出てきた、と思ったのだが(河童ビギナーだったので)、その後『獣儀式』をアウトロー文庫で読み、あらためてこりゃすげえとなりまして、『陵辱の魔界』を読み、こっちはSFっぽかったからあまりハマらなかったけど、相前後して20世紀末に雑誌『ホラーウェイヴ』の2号で友成純一特集があり、それで本格的に開眼したのかなあ。

しかし昔はノベルスの古本なんてほとんど手に入らず、電子書籍もなかったですからね、大森望氏がよく言及する『宇宙船ヴァニスの歌』なんてどこに行ってもお目にかかれず、『吸血山脈』『人獣裁判』とかを運良く函館のブックオフで見つけ、大喜びで読んだのは数年後の話。一方で友成氏の映画評論もよく読んでいた。ペヨトル工房の映画評論『内臓幻想』は京都の三月書房(今はなき)にずっと置かれていて、長年眺めまわしてからやっと買ったのだった(いや、買ったのは四条通のブックス談かも。このあたり記憶が曖昧)。面白かった。その後『人間廃業宣言』『暴力/猟奇/名画座』も新刊で買って読んで、この2冊は『内臓幻想』以上に友成さんの世界観が色濃く出ており、名著だと思う。クローネンバーグ論、バーホーベン論などは自分の血肉になっていると感じる。友成さんの資質に一番近い映画作家は、クローネンバーグだったのではないだろうか。

でも一番はまったのはエッセイだ。Xにもちらっと書いたけど大学4年の時に泊めてもらった東京の友人宅(西武新宿線の鷺ノ宮駅)のそばにあった狭い古本屋で、『びっくり王国大作戦』が3冊並んでいるのを見つけ、へえ、友成純一のエッセイだ、と思って1巻目だけ買って京都に帰って読んだらまあ面白いこと。海外の実銃射撃ツアーのこと、うる星やつらのこと、ホラーのこと、ロンドンのこと。あれこれが楽しく書かれていて、なんかこういう風に生きられたらいいなと淡い憧れを抱いたものだった。モラトリアムの気分とよく響き合ったのである。

その後、当時はAmazonなどありませんので日本の古本屋などを駆使して『続びっくり王国大作戦』『新びっくり王国大作戦』『ローリングロンドン』も買って読んだ。どれも面白いのだが、一番好きだったのは東京を離れてロンドン移住を決意し、ヨーロッパの映画祭を巡ってさまざまな珍体験をする『続びっくり王国』だろうか。異邦人として暮らすロンドンの日常がとても刺激的で、向こうで上映されているカルトな映画のことなどが「ほらほら、こんなに面白いものがあるんだぜ」という独特のノリで書かれていて、読んでいるこちらまで楽しくなる。まあこういう文章は景気がよかったバブル日本の時代を背景にしているのは否定できないし、友成さんも現代に生きていたらこういう生き方を選んでいたかどうかは分からないが、それでも文章で身を立てながら、神出鬼没で世界を渡り歩く友成さんがとても素敵に見えたのですね。あの時代でしか成立しなかったという面も含めて、なんだかとても愛おしいエッセイだ。

今世紀になって出た小説『ストーカーズ』などは往年のエグさがないだけに普通のモダンホラーになっており、そうなるとストーリーや人物描写が精緻化していった近年のエンタメ小説や、怪談実話の手法を取り入れて進化していった現代ホラーの中では埋没してしまうきらいがあって、そのあたりは勿体ないことだったと思う。『ホラー映画ベスト10殺人事件』とか『黒魔館の惨劇』などの復刊もあったが、本格的なリバイバルには繋がらなかったようだ。むしろバリ島を舞台にしたおそらく私小説的要素を含んだシャーマニックホラー『邪し魔』などの方向に、友成ホラーの新たな可能性があるような気がし、そちら方面の作品をもうちょっと読んでみたかった。

友成さんとは一度もお会いする機会がなく、こちらが公にした文章の中でもあまり言及したことはない(『幽』の書評で『蔵の中の鬼女』を紹介したことがある)が、ずっと気になる作家の一人であった。日本のホラーのある時期を支え、菊地秀行氏、朝松健氏などとはまた違った形で、シーンを牽引した人だったように思う。今書いてる現代ホラー100選の中でも友成氏の90年代の作品を取り上げる予定で、すでにその部分の原稿も書き上げているのだが……刊行が間に合わなかったのが悔やまれる。ご冥福をお祈りする。




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