2023年9月2日土曜日

怪老人日乗:9月2日(土)

 日乗、といいながら週一コラムになりつつある。そもそも日乗って何?永井荷風以外の人も使っていい言葉なの?訴えられたらどないしよ。

というわけで小心翼々、ダブルスタンダードで生きていこうと思っている私なのですが、この1週間の出来事といえば家族旅行で福井に行っていましたね。ツイッターなどではリアルタイムで投稿すると強盗団がやってきたりするらしいので、帰宅してから投稿しましたが、8月23日(水)に家を出て26日(土)まで。福井に2泊して、大阪の妻実家に1泊してきました。

福井といえば……!さあ、答えてくれ……!福井といえば……!と熱い目で問いかけられたら、君はなんと答えるか。私はうーん、「眼鏡かな……」というくらいの知識がない無知者だったのですが、まあキッズの間では恐竜の聖地なわけですよね。うちの小学生も恐竜が好きで、いつか行ってみたいと思っていたので、熱が冷めないうちに行くことにした次第です。

いや、実際問題どこに行っても恐竜でありました。「ワニの町」というミステリー小説のシリーズがありますが、福井は「恐竜の町」ですよ。新幹線を名古屋で乗り換え、ひかり号で米原まで北上、そこから特急しらさぎに乗って福井駅に。東京からは4時間くらいですかね。途中、渋谷のペットショップに文鳥を預けたりもしました。ドウケンペットというお店で、遠藤周作の『沈黙』にも出てくるそうです。

で福井駅前、恐竜の像がドーンと建っている広場あり。夜になると月夜に映えて、なかなか奇怪な光景でよろしかった。お城跡を抜けて、ホテルに荷物を置き、福井の町をさらりさらりと散策した。函館くらいの規模の町だなあ、と感じたけど実際同じくらいだったようだ。お城のある町っていいですよね。好きな感じです。市電も走っていたよ。

翌日は朝早くに起きて、えち鉄というローカル線に乗り、福井県立恐竜博物館。勝山という駅からまたバスという行きづらい場所で、多くの人は車で行くのだろうなあ。早起きしたおかげでオープン前に着けて、恐竜をたくさん見て楽しんだ。発掘もした。石を割り続けていると、石割人になったような気分だ。石割人とは何か?それは誰も知らない。

その日はあわら温泉のホテルに泊まって、風呂に何度も入ってワニになり、翌日は東尋坊を観光。大阪に移動して、義父の一周忌でお寺で手を合わせて東京に戻ってきた。雨もほとんど降らず楽しい旅行でありました。しかも珍しいことに、旅行中あれを見てくれ、これを戻してくれという仕事のメールがほとんど入らなかった。こんなことって珍しい。

帰宅後はちょっと夏風邪気味。東尋坊が暑くて、頭が痛いなあと思っていたら熱中症っぽくなっていた模様で、ゆるゆると寝て過ごす。しかし帰宅翌日の日曜からもう仕事再開で、飯田橋に出て某誌編集作業、時評のための分厚い本読みなど。治ったと思ったら、今度は奥さまが風邪を引いた。どちらもコロナではないようだが、流行っているから戦々恐々。

30日(水)には高校時代の同級生Y君とSさんと再会。ほぼ高校卒業以来だから、おそろしい年月が流れている。2人とも東京の大学に進んだので(私は京都だったから)交流は長らく途絶えていたが、どちらもマンガ編集者になったという噂は聞いていて、近い業界にいるなあと思っていた。私の通っていた高校というのは決して特色ある学校ではなく、地方のよくある、いわゆる難関校にはほとんど進学する人がいない平凡な(歴史だけは古い)公立高校である。そこからマスコミ方面に3人も進み、しかも同じようなエリア(千代田区)で働いていたというのは、なんとも面白いことじゃ。

年齢的にもキャリア的にも2人はベテラン編集者の域で、すでに編集長的なポストに就いているという。こつこつ働いていりゃそうなりますか。私はまだ自分が駆け出しのような気がしているが、年齢的には同じようなラインなんだよね。仕事がんばろ。いい刺激をもらえた会合でした。同窓会的なところに出るのはご免だが、この2人とはまた集まりたい。

さて、ツイッターに何度か書こうとして消している話題がある。件の木札にまつわる問題だ。不謹慎だとか呪物の定義だとかいう話は脇においておくとして、個人的にすごく気になっているポイントはひとつ。情報提供者として存在が浮上した「東北のライター」なる人物がいるが、この人の話はどこまで虚偽だったのか、ということだ。あの木札は亡くなった母子の遺品、という由来がこれまで語られており、そこから心霊現象が起こり、その魂を慰めるために所有者氏が毎日お線香をあげて、という話につながっているわけだけど、そもそものレベルで東北のライターが嘘を吐いていたのだったら、このあたりの話がまるっと根拠を失いますよね。

このところが謝罪動画を見ても、あれこれ関連する記事を読んでもよく分からない。映画のために作られた木札を、呪物として扱って済みませんでした、という謝罪に終始している。しかしあまり指摘している人もいないようだが、一番気になるポイントは母子の実在性だ。ここがグラグラしているから、「呪物を大切にしている人なので」という擁護派の声がどうにも空疎に思えてしまう。どうなんでしょうか。

もしすべてがフェイクだったとして、一方で実際に心霊現象が起こったのだとしたら、それはそれで現代怪談的だということにもなろう。何の因果因縁もないところに怪異が起こる、というのが『新耳袋』以降の現代怪談のひとつの流れでもあるからだ。まあ何にせよ、怪談をやる人はきちんと調べた方がいいです。調べない方がラクだけど、調べた方が話は面白くなるから。

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