2023年7月8日土曜日

怪老人日乗:7月8日(土)

曇天の穴。起きたら右耳の調子悪く、耳鼻科へ。地元で大人気の耳鼻科につき、朝8時半に行ったらもう行列ができている。M・R・ジェイムズ読みながら順番待ち。子どもの頃から中耳炎に悩まされ続けて、もう40年になる。まあ虚弱であった子ども時代に比べると、それでも丈夫になった方だろう。

さて昨日の夜はPANTAさんの訃報に触れてショックを受けていた。頭脳警察、好きだったんですよね。当然リアルタイムの世代ではなく後追いなのであるが、それでもバンドもソロも愛聴していて、映画『ドキュメンタリー頭脳警察』はたしか全部劇場で観た。PANTAおよび頭脳警察の魅力といえば、暴力的なところとインテリジェンスな部分のバランスだろう。

人生で最初に聞いた頭脳警察のアルバムはセカンドだが(たしか大学1年の時)、それに収録されていた「さようなら世界夫人よ」のクレジットが「作詞ヘルマン・ヘッセ」となっているのを読んで、そんなのありかよ、と驚いたものだった。頭脳警察といえば反権力、パンクの先駆的なイメージが先行するけれども、それはあくまで一面で、その一方では文学史・世界史の引用が多々ある岩波文庫的というか、中公新書的というか、そういう20世紀的な教養の部分が背景にあって、そのバランスがとても絶妙で好きだった。





そしてそれは単なる意匠にとどまらず(これが単なる知的な意匠だったら、実につまらない、底の浅いものということになる)、大きな歴史のうねりと直面したことで沸き起こってくる喜怒哀楽を、荒削りな演奏とともに表現したところに頭脳警察の魅力があった。

わたしはパンクにもメロコアにもほとんど心を動かされることのない人間だけれども、頭脳警察及びPANTAのロマンティックかつ暴力的な、20世紀的な「大きな物語」を感じさせる楽曲には深く魅了される。それはある部分では親の世代の物語であったのかもしれないが(「戦争しか知らない子供たち」などは全共闘世代の方がよく分かるのだろう。私も好きだけど)しかしその本質的な魅力は、世代に限定されるものではないと思う。どの世代にも共通する悲劇・喜劇、人間のささやかな歓びと社会とその背景にある歴史が緊密に結びついているという認識が生み出す、シリアスで残酷で切実で、やかましくも心躍るような物語を歌い続けたところにPANTAという人の尽きせぬ魅力があった。

昨日の晩からいろいろ聴き返している。初期のテレキャスターをキンキン言わせながら、エッジの効いたリフを弾いていく感じもいいし(上手いとか下手を超越してすごくかっこいい)、90年代に復活して以降の壮大な感じもいい。ソロはソロでプロのミュージシャンを迎えて、ちゃんと「音楽」をやっているのだが、歌詞が相変わらず20世紀精神的だから、浮ついた世相に呑みこまれている感じがしない。

好きな曲はたくさんあって「ふざけるんじゃねえよ」「さようなら世界夫人よ」「Blood Blood Blood」「万物流転」「最終指令“自爆”せよ」、ソロだと「マラッカ」「オリオン頌歌 第2章」あたりはやはり名曲だと思うし、9分あまりの大曲「マーラーズ・パーラー」はPANTAのすべてが詰まった象徴的な一曲だと思う。




個人的にふと聴きたくなるのがユダヤ人虐殺を扱った傑作コンセプトアルバム『クリスタルナハト』の最後から2曲目に収録されている「夜と霧の中で」。フランクルの著書から取られたタイトルと題材からすると拍子抜けするほどからっとした曲調なのだが、歌詞を辿りながら聴いていると、明るい歌詞と曲の背後に歴史に圧殺された名もなき人の顔が浮かんでくるような気がして、厳粛な思いに打たれる。単なるプロテストソングでもなく、メッセージソングでもなく、ひたすら生を謳うことで死の世界に到達しているような一曲。「おそるおそる窓を覗く 少女の顔は たとえレンブラントさえ 描けやしないだろう」という歌詞に胸が詰まる。




そういえば自分が同級生前原君と組んでいた水銀魔術団も、ギターボーカルとドラムのツーピースバンドだった。当時はT-レックスの真似と思っていたけれども、頭脳警察の影響も大だったのだなあとあらためて思う。歌詞とかギターの弾き方なんか、否応なく影響を受けてしまっている感じがする。

それにしてもツイッターに流れてくる、生前のPANTAさんを知る人の明かしているエピソード、どれもお人柄が伝わってきていいなあ。若い世代とも分け隔てなく接して、新しいカルチャーにも興味津々で(アイドルやアニメも好きだったんだよね)。大げさでなく戦後日本の精神的・文化的な支柱が失われてしまった感じ。私は訃報にツイッターで反応するのは慎んでいるので、かわりにブログに長々書いてしまった。諒とせられたい。


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