このブログをお読みの方はすでにお気づきだろうが、わたしは甘党である。
洋の東西は問わない。おまんじゅうでもケーキでも、かりんとうでもドーナツでも、甘いものならいつでも美味しくいただける人間である。
お酒をまったく呑まないことと関係があるのかもしれない。
しかし、考えてみれば小さい頃から、ジャムを一瓶丸ごと食べたり、カルピスを原液のままグラスに注いで飲んだりしていたので、単純に砂糖のあの味が好きなのだろう。
北大路魯山人ではないが、わたしにとって「甘いはうまい」とイコールなのである。
さて。
われらが怪奇小説の世界を見まわしてみると、何人かの甘党作家の存在に思いいたる。
今日はそうした「甘党怪奇作家」をフィーチャーしてみよう。
即座に名前があがるのが怪奇小説の巨人、H・P・ラヴクラフトである。
ラヴクラフトはやや偏食のけがあったらしく、魚介類はそれこそダカツのごとくに忌み嫌っていた。作中にあらわれる異次元世界の邪神たちには、ラヴクラフトが怖れていた魚介類のイメージを見てとることができる。
そんなラヴクラフトが愛好した食べ物は何だったのか、といえば。
ここは本人がF・リー・ボールドウィンに宛てて書いた手紙の一節を引用することにしよう。
定まった時間をもうけず、一日に二度食事をすることを好んでいます。普通は夜に一番よく仕事をします。海産物は説明できないほどこのうえない激しさで嫌い、チーズ、チョコレート、アイスクリームには目がありません。煙草は好みませんし、アルコール性飲料は口にしたこともありません。
H・P・ラヴクラフト「履歴書」(『ラヴクラフト全集3』大瀧啓裕訳/創元推理文庫)
この部分について、訳者の大瀧啓裕氏は、「これは母親がラヴクラフトの好むものだけを食べさせたことによるが、甘いものに対する好みからは低血糖症がうかがえる」と註を加えている。
ラヴクラフトが大の猫好きであったことはよく知られているが、そのうえさらにチーズ、チョコ、アイス好き!宇宙的恐怖の創始者も、なかなか乙女チックな一面があったのである。
一方、わが国における「甘党&怪奇趣味」の筆頭格といえば、『吸血鬼ドラキュラ』『小泉八雲全集』などの名訳で知られる平井呈一であろう。
平井の双子の兄は、現在も上野にある和菓子店「うさぎや」の創業者である。平井自身も和菓子にはかなりうるさかったらしく、由良君美のこんな証言が残っている。
一度ね、珍しいお菓子が手に入ったので、先生はお菓子が好きだからと送ってさしあげた。そうしたらものすごい返事がきてね。あんなものは菓子じゃない、お前とも絶交だって(笑)。
由良君美「回想の平井呈一」(東雅夫編『幻想文学講義』国書刊行会)
あるいは、荒俣宏のこんな回想もある。
どらやきで有名な上野の「うさぎや」にうかがうと、先生は待っておられ、どらやきをいくつもパクつきながら夜遅くまで飽かずに古ごとをお話しされた。お酒を嗜まれないので、甘い物には一家言をもっておられた。 先生がきらいなお菓子を、うっかり「うまい」と口走ってしまうと、機嫌を悪くされるので、こちらは黙々と食べるしかなかった。
荒俣宏「序 平亭先生の思いで」(『真夜中の檻』創元推理文庫)
通人だった平井翁らしく、和菓子にも相当なこだわりをもっていたようだ。親切で送ってあげたお菓子がもとで、絶交されてしまうんだからものすごい。わたしのようなだらしない舌の人間は、たちまち大喝を喰らっていたことだろう。
こうなると甘党界のサラブレッドとして憧れはするものの、ちょっと近寄りがたさを覚えてしまう。もうちょっと庶民的な甘党はいないものか。
いた。天下の奇書『ドグラ・マグラ』をものした怪奇探偵小説家・夢野久作だ。
久作の長男、杉山龍丸の回想記『わが父・夢野久作』には、そのものズバリ「甘党」という章が設けられていて、久作の甘党ぶりをうかがわせる。
杉山家のものは私の知る限り甘党です。
杉山三郎平灌園(註・久作の祖父)は、敬止塾時代から、机の傍に、金平糖と、煎餅が無いと、機嫌が悪かったと申されています。
茂丸(註・久作の父)も、あまり酒は飲まれず、せいぜい、甘いワインを飲む程度であったそうです。
夢野久作は、甘党も甘党、大甘党で、汁粉、ぜんざい、ボタ餅等は、大鍋に作っても、一人で食べてしまう程でした。
杉山茂丸(『わが父・夢野久作』 三一書房)
うーむ。わかるわかる。
わたしも幼少期、家で大量に作ったおはぎを「これ、どこにもあげないで!」とがっちりガード、一人でほとんど食べてしまったという思い出があるので、鍋いっぱいの汁粉をたいらげる久作先生の気持ちはよーくわかるのだ。
夢野久作という人物は、グロテスクとエロティシズムに溢れた作品を執筆しながらも、終生子どもっぽい部分を保っていた人らしく(だから大好きなんですが)、お風呂場で子どもたちと一緒になって風呂桶を叩いて大はしゃぎしていたら、奥さんに怒られた、なんていう微笑ましいエピソードが多数残っている。
これは甘党揃いの杉山家である日、起った出来事。
大量に買いこんできたお菓子をかけて、杉山家でトランプ大会が開かれた。しかし、久作はなかなか勝つことができない。買ってきたお菓子は、妹たちにぱくぱくと食べられてしまう。
どうにもたまらなくなった久作は、懐からりんかけ豆(甘く味をつけた豆菓子)を取り出して、口に含み始めた。
このつづきは再度『わが父・夢野久作』から引こう。
「あら、兄さん、ずるいわよ。負けたものは、お菓子を食べてはならぬ約束でしたでしょうが。ここに、出しなさいよ。」
と、いいますと、彼は、
「お、お、おれが、おれの銭で、買って来たものを、この、お、おれが食うて、何でわるい。こ、この豆は、俺が買うて来たとぞっ。」
と、涙ぐんで怒ったので、皆で大笑いになりました。
『わが父・夢野久作』
幻魔怪奇の探偵小説が生まれた舞台裏では、甘いものをめぐってこんな涙ぐましい攻防戦がくり広げられていたのである。
久作の処女作である短篇「あやかしの鼓」には、主人公が持参したもなかの箱を、妻木という怪青年がたちまち半分ほど平らげてしまう、というカルト味満載の名シーンがあるが、あれなども作者の並外れた甘党ぶりを知っていると得心がいくであろう。
というわけで。
今日は怪奇小説界がほこる三人の甘党を紹介してみた。
今後かれらの作品に触れる際には、ぜひともおまんじゅうやチョコレートの気配を探ってみてほしい。これまで気づかなかった作品の魅力が、浮かびあがってくるはずだ。
と、強引な結論をつけて、この項はおしまい。……ブウウウーンンンン……
【おまけコーナー 今日のあんこ】
ふいに「東京ボーイズ」が見たくなり、浅草演芸ホールへ出かけたのが一昨日。
浅草といえば、あんパンの名店「あんですマトバ」である。
店の名前に「あんです」と入っているだけあって、こちらのあんパンへの力の入れようは半端ではない。種類がたくさんあって目移りしてしまう。いつの日か貯金をたくさん下ろして、この店のあんパンを食べきれないほど買ってみたい。そう夢想せずにはおれない、あんパン好きの聖地なのである。アイドル好きにとっての秋葉原、イタコ好きにとっての恐山、みたいな場所なのだ。浅草のマトバは。
が!
この日は三連休初日とあって、オウ、棚がすっからかんではないか。「ぐやじー」と東海林さだおのような声をあげたが、買えないものは仕方がない。このお店のあんパンを皆が愛している証拠ではないか。
前向きに気分を切りかえたわたしが何を買ったのか、といいますと、あんこです。
あんこそのもの。ついにここまで来てしまったか……と自虐的な感慨に耽りながら、どっしりとした重みがここちよいあんこの袋を握りしめて帰ったのである。
購入したたのはこしあん。
あんこといえば基本的に粒あん一択のわたしだが、こちらのお店だけは、こしあんに軍配があがるのである。そんなことってあるんでしょうか。あるみたいです。えへへ。
購入したあんこは、おしるこにしていただきました。
うむう、力強いのにしつこくない。 出来のいい和風ホットチョコレート、という感じであった。
明日はパンに塗ってみよう。えへへ。
●あんですマトバ
浅草駅徒歩7分(浅草寺裏)。営業時間9時~18時半。日曜定休。
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