2023年10月18日水曜日

怪老人日乗:10月18日(水)

アブラカダブラ。もう水曜ではないか。金曜までに新聞書評1本、文庫解説2本、月刊誌書評が1本あり、どれも中途半端なのでさあ困った。大体書くべきことは決まっているが、この書くべきことが決まっているというのと、できているというのの間には1000キロくらいの距離があって、お洒落なヘアスタイルで後頭部だけはげているみたいな、よく分からない喩えだが、そのくらいショックな事態なのだよ明智君。

ところで禿頭ホラーといえば倉阪鬼一郎の「禿頭回旋曲」(『怪奇十三夜』所収)で、薄毛を隠して美しい妻をめとった男が、一生懸命にカツラで誤魔化そうとそうとするのだが、健闘むなしくとうとう真の姿をさらすことになり、その瞬間ショックで発狂し(この発狂シーンがすごい。鬼気迫る)、同じく禿頭の精神病院長とともに世界中の人を禿頭にするという悪魔的計画(ヘイジ計画)の相談をする、というところで終わる。

ルース・レンデルあたりが書きそうな病んだサイコサスペンスに禿頭という多くの人にとって切実なネタを持ってきたのがミソで、倉阪氏には他にもNHKのど自慢に出場したカラオケ自慢が鐘がひとつしか鳴らず、それが地元の衆にばれるのを恐れて連続殺人をおかすという「頭の中の鐘」という犯罪小説の傑作があり、つくづくこういう小市民的感情を書かせるとうまい、と思う。しかし外見の劣等感というのは時代とともに変化するから、この肺腑をえぐられるようなスリルと笑いも後の世の人には伝わらなくなるかもしれない。それならそれでいいとも思うが。

さて。今日は朝から仕事へ。飯田橋の某月刊誌編集部にて編集作業進める。リモートワークが進んだとはいえ、出先でなければできない作業もまだあり、月に決まった日数は出なければいけない。原稿が詰まっているときには辛いものだが、この作業(上京してからこっち、もう十何年もやっている)のおかげで知り合った人も多く、またこれがなければ本当に家から出ないので、ぎりぎりの社会性を保つためにもできうる限りは続けたいものだと思っている。

帰宅して夕方。家族にかぼちゃのプリンを買ってかえる。上記の原稿書きあるのだが、頭痛がして進まず。鼻づまりが続いていて、それがとうとう頭痛にまで拡散してきた。まさか脳まで膿がまわったわけではないだろうが……蓄膿的な感じになっているのかもしれない。全身もだるいし、バファリンを飲んで痛みを紛らわせているが、根本的には耳鼻科にいかないと駄目だろう。もしかしてアレルギーとか花粉症なのかなあ。この年齢まで花粉症とはほぼ無縁で、ふっふふと高みの見物を決め込んでいたのだが。

昨日から読んだ本。倉阪鬼一郎『赤い額縁』『白い館の惨劇』。いずれも25年ほど前に出たホラーミステリで、初期倉阪ミステリの代表作といっていいだろうか。あらためて読んでみると、いやあ、なんちゅう変な小説なんだ。

特に前者はメタメタのメタで、ホラーを題材のゲームブックを書いている男、怪奇小説を訳している女、謎の小説の行方を追う主人公コンビ。それぞれが『RED FRAME』という呪われた怪奇小説に関わりを持っており、実際、次々と関わった人は命を落とす(主人公コンビのうち一人も一度は死ぬのだが、この人は吸血鬼なのですぐに生き返る。吸血鬼が祟られて死ぬ小説なんて世界でもこれくらいだろう)。二重三重に現実が交錯し、幼女連続殺人事件まで絡んできてわけがわからなくなるのだが、全体に漂う憑かれたような雰囲気と、英米怪奇小説、ホラー映画、懐メロなどに関するペダントリー(というか脱線)が楽しく、そのあたりが例によっての倉阪節でむちゃくちゃ面白い。

昔は黒川&ゴーストハンターシリーズ(つまり吸血鬼の二人組のシリーズです)、あまり得意じゃなかったというか、なんでゴシックな世界観なのにこんな冗談みたいな、大してかっこ良くもない男たちが出てくるんだろう、と思っていたのだが、この年になってみるとそこがしみじみ染みる。みうらじゅん風に「そこがいいんじゃない」と言いたくなる。たまに出てくる適当な感じの神主(この人も吸血鬼)もいい。

『白い館の惨劇』は記憶喪失の探偵が砂嵐の中、美術館を兼ねた邸宅にやってきて、密室殺人の謎を解く。記憶を失った探偵の謎解き、という展開がなんとも抽象的かつ非現実的で、マコーマックとかポストモダン文学風の味わいがある。のだが、これも後半でメタになり、またまたヘンテコな吸血鬼コンビが出てきて、前半が作中作であることが分かる。

なんともカルトな作風で、ミステリ史に残る傑作ともホラーの名作とも呼びがたいのだが、じゃあ失敗作かといえばそうでもなくて、2作ともじわっと滲み出るような怪奇と狂気のムードが一読忘れがたく、ルチオ・フルチの映画(しかも『地獄の門』や『サンゲリア』ではなくて)を見終わった後のような感じ。そういえば『赤い額縁』にはフルチ信奉者の作家が出てくるのだった。ロメロでもカーペンターでもなく、倉阪鬼一郎は小説界のフルチなのだ。

ホラーガイドのために倉阪作品の読み返しはしばらく続ける予定。


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