2012年12月5日水曜日

侘びしいのがお好き、または那須正幹主義者の弁


なぜかこう、侘びしい話が好きである。

勝つよりも負ける話が好きだし、達成するより失敗する話のほうが好き。
『パノラマ島』はラストで爆発しなければならないし、『真夜中のカーボーイ』は長距離バスの中で病死しなければならない。

以前は「自分は切ない話が好きなのだ」と思っていたが、よくよく考えてみるとどうも違う。「切ない」と「侘びしい」の違いをはっきり区別するのは難しいが、わたしが惹かれているのは「滅びの美学」のセンチメンタリズムというより、もっとみっともなく、情けなく、貧乏ったらしい何かであるようだ。


さて。
こうした感覚をぞんぶんに味わわせてくれる作品として愛読しているのが、那須正幹の『ズッコケ中年三人組』シリーズである。



1978年から2002年にかけて全50巻が刊行された児童文学『ズッコケ三人組』シリーズの後日談にあたる作品で、主人公のハチベエ、ハカセ、モーちゃんの三人が40代の中年男となった姿で登場するのだが…これがものすごい


かつての小学生たちのヒーローも、いまやミドリ市花山町で生活するただの一市民でしかなくなっている。ハチベエは実家の八百屋を改装したコンビニエンスストアの店長。ハカセは大学院を出て研究者をめざすもうまく行かず、今は中学校の教師。モーちゃんは一時大阪方面で働いていたが、失職しレンタルビデオ屋でアルバイトをしている(その後、内装業に転職)。


そんな彼らが再び中年の星として活躍する…という話では全然ないのがこのシリーズのすごいところ。失業、家庭内不和、子どものイジメ、親の老い、といったありふれた問題が、毎回の主たるテーマとなっている。作者・那須正幹には分かっているのだろう。「小学6年」という特権的な年代が過ぎさった今、三人が順風満帆の人生を送るという保障はどこにもないことを。


かつて『ズッコケ三人組』シリーズを愛読してきた人の中には、こんな侘びしい話、読みたくないよ!という意見もあるかもしれない。しかし、わたしはこういう続編の書き方も、大いにアリだと思っている。(そもそも那須正幹は小学生編においても、容赦のないリアリストぶりを発揮していた。『ズッコケマル秘大作戦』や『ズッコケ文化祭事件』のあまりにも侘びしい展開を思い出そう)


ノスタルジーに寄り掛からず、冷徹な視線を忘れず。もちろん読者へのサービス精神は相変わらずだが、キャラクターに引きずられて予定調和に陥ることもない。BGMに沢田研二の『サムライ』でも流れてきそうな、侘びしさと、苦い笑顔にみちた人間讃歌なのである。
那須正幹という名は(江戸川乱歩やモーリス・ルブランと並んで)子供時代、素朴な憧れの対象だったが、近年『中年三人組』シリーズを読むにいたって、いよいよ「那須正幹、おそるべし」と襟を正した。とにかく凄絶な作品である。


中年編はつい先日発売された『ズッコケ中年三人組age47』まで、全8巻が刊行されている。
いずれも傑作揃いだが、わけても前作『ズッコケ中年三人組age46』は、夢と冒険にあふれた小学生編に引導を渡すような、弔いの杭を打ち付けるような、とてつもない作品だった。この山田正紀の『宝石泥棒』を連想させるような作品において、三人組の小学生時代は、永遠に葬り去られてしまったのである。合掌。ちーん。


小学生時代『ズッコケ三人組』シリーズを愛読したという人は多いはずなのに、このすごさを語り合える人がなかなかいないのは、ちょっと淋しい。


もちろん、冒険の時代が過ぎても三人組の人生は続いてゆくので、最新刊『age47』では47歳を迎えた彼らにそれぞれの転機が訪れている。新刊が出たばかりだが、早くも来年の『age48』が楽しみで仕方ない。こんな気分にさせてくれるシリーズは、そうないだろう。
そういえば年に2度発売される『ズッコケ三人組』シリーズの発売を待ちわびていた当時もこんな気分だったなあ、と懐かしく思い出す。


 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿