2026年4月12日日曜日

怪老人日乗:4月12日(日)

うおおおお、ニッコニコの日曜日だああああ。というわけで日曜日なので日記をつけます。嘘です、日曜日だから書くというわけではなくて、単なる思いつきで書いていますが、そんなわけでイベントも終わり、少しだけ落ち着いたので日記をつけます。そう、心に余裕がないと日記をつけられないのだよ。

そういえば(といきなり脱線する悪魔人間)昨日の打ち上げで聞いたのだが、今流行っているのは「ホラー、日記、短歌」であるらしい。なるほど、日記が流行っているのか。ということは怪老人日乗ももっと流行っていいと思うのだが、なぜこれが流行らないのかといえば、まるで意味が分からないからで、人は意味の分からないものを読むほどまだ進化をしていないのだ。これを読んでいるあなたは未来人です。西暦3000年くらいの生まれだと思いますよ、ええ。

それでだね、流行に乗って日記をつけちゃうわけだが、今日は日曜日なので家にいますねえ。昨日は終日出かけていたし、明日も取材で出かけるので、できるだけ家にいたいところ。机にかじりつきたいところ。ラッコのミイラを撫でたいところ。

ところでしばらく日記をつけていなかったのか。時間を巻き戻すとどうなるかなあ。ああ、思い出した。火曜、水曜と原稿書きをしていたのだ。いまいち進まず、参ったなあと思いながらもぺろりんぺろりんと書いて、送ったのが木曜の朝だ。どしぇー、疲れた。それから「居住地証明」っていうのを取らないといけなくて出かける。まず市役所に行ってみた。どうも違うらしい。それから調べ直して税務署でもらえるということが分かる(朝松健さんにも丁寧に教えていただいた)。で東村山税務署までバイクを飛ばし、って3時起きだから眠くてふらふらしているのだが、なんとか窓口にたどり着いて相談。

居住地証明というのは日本に住んで納税していますよ、ということを相手国に証明するもので、それによって支払われる報酬にかかる納税がダブルになることを避けることができる、ということらしい。つまり普段日本で仕事をした場合、源泉徴収で10パーセント税金が取られているが(原稿料ってそうなんです)海外で仕事をした場合は、向こうでも取られてこっちでも取られて、ということになりかねないらしいのだ。で、居住地証明をしっかり出しておくと、それが避けられるというわけ。

なのだが窓口の人も手続きがよく分かっておらず、これから、とりあえずこれに書いてください、とイタリア向けの(イタリアの出版社と仕事をしたのだ)用紙をくれる。わけもわからず記入して提出。帰ろうとしたら入り口のところで「待ってください」と呼び止められる。マッテクダサイという曲がキングクリムゾンにあったけれども、そんな感じである。

なんだかやっぱり分からないので詳しい職員さんを呼ぶということ。しばし待っていたら奥から手続きに精通した男性が出てきて、あれこれと教えてくれた。なんでも日本語とローマ字、両方併記して両国に提出しないといけない、書類も2セット書かないといけないとのこと。自分の住所なんて英語で書いたことないなあと思いながらも、おっかなびっくり記入して提出。1週間くらいでできるということだった。帰宅して疲れて寝る。

で金曜日(今日の日記は長いですね。ゾウのしっぽのようだ)になりまして、思い出した、取材だったのだ。帝国ホテルで取材が阿るってんで、翌日のイベントもままならず、昼を外で食べてから有楽町に出る。吉川英治文学賞の贈呈式がおこなわれる帝国ホテルにて某ホラー作家さんと某BL出身作家さんの取材。ホラー遍歴などをうかがった。へろへろと疲れて帰宅。夜はご飯食べてインタビュー用のゲラ読み深夜まで。うーん、まだ読み終わらないねえ。2時過ぎにやっと読み終わって、質問項目を送信。ちょうど大阪が舞台なので、イベントとの縁を感じる。パソコンでイベント用のスライドを作って4時就眠。

さて昨日までたどり着いた。4月11日は大阪イベント。大阪のロフトプラスワンウエストから『日本ホラー小説史』の刊行記念イベントをしたいというお話があったのは、たしか1月のことだったと思う。4月なんてずっと先だあと思っていたけど、結構あっという間でしたね。そして大阪での開催ということで不安もあったが、深津さくらさんという心強いゲストを得て、無事開催の運びとなったわけです。深津さんにお願いしたのは(そもそもはロフトの方の発案だけど)深津さんが卒業論文で怪談史を研究されたということを知っていたからで、ホラーの歴史と絡めるととても面白い内容になるのではないか、と思ったわけです。




でさらりさらりと時は流れて昨日になった。イベント開始時間を早くしてもらったのは日帰りをしたいからで、大阪に宿を取るとギャラで足が出てしまうのだ。で13時スタートにしてもらったのだけど、会場入り時間が11時半。調べると心斎橋からロフトまでは歩いて15分くらいかかるらしい。ってことで8時ちょいの新幹線に乗る。となるとうちと7時前に出ることになるわけで、睡眠時間2時間ちょっとで大急ぎで準備して家を出かけたのでした。

新幹線では草野唯雄『甦った脳髄』を再読しながら大阪に向かう。名古屋あたりからは景色も見ずに寝てました。2時間半で新大阪、便利だよなあ。新幹線使えば関西まではほんとにすぐだ。大阪に一人で来るのは去年の夏のイベントぶりか。御堂筋線に乗って心斎橋。ロフトがあるのは宗右衛門町のほうで、あんまりこっちまでは来たことないなあ。ホストクラブなどが並んでいる界隈で、東京でいうと歌舞伎町のような感じだろうか。すごくおっきい声で歩いてくるちょっと見ための怖い男3人がいて、その筋の人なのか、この土地の人のデフォルトなのか分からず。とにかくロフトの入っているビルを探し出して会場入りしたのが11時半。近くのコンビ二でコーヒー買って入る。




楽屋でサンドイッチ食べて待つことしばし。深津さんがこられて初めてご挨拶。わざわざ東京から来てくださったので、ありがたいことである。打ち合わせしていたら平凡社の編集Aさんも到着。Aさんは物販をするために来てくださったのである。休日に大阪出張とは申しわけないことだが、物販をやってもらえるのは助かるので心強し。13時からイベントスタート。前半が日本ホラー小説の歴史を書影を見ながらざっとおさらい、合間に深津さんがコメントや質問を入れてくださって、スムーズに進む。途中途中で深津さんが「そういう話といえば」と怪談を挟んでくださるのが嬉しい。異次元に行った人の話、『恐怖の心霊写真集』にまつわる不思議な思い出など。




10分の休憩があったので来てくださった作家の最東対地さんとご挨拶、Xで繋がっている方々にもお声がけする。去年の大阪イベントも見てくれたSさん、関東から見にきてくれたRさんなど。ありがたいことであります。イベント仕事をしていると読者の方と直で会うことが増えて、読者あっての仕事だなあ、支えられてるなあと実感。

で後半戦は怪談史。深津さんがご専門の怪談の歴史について、近世から明治、現代まで教えていただいた。今の怪談シーンは分かっているようで分からないことも多く、『人志松本のゾッとする話』とかSNSで一瞬流行ったクラブハウスとかスリラーナイト創業とか、ホラー小説史からは抜けていた視点も多くてなるほどと膝を打つ思い。最後はじっくりと怪談を披露していただく。卒業文集にまつわる奇妙な話で、会場全体が心地よくこわーいムードに包まれたところでイベント終了。プロの語りはすごいですね。会場からのアンケート、質疑応答でもいろいろ聞いていただき感謝感謝。



イベント後は物販で売った本にサイン。歴史学者の木場貴俊さんが大阪ラテラルに引き続き応援にきてくださって、ひええと恐縮。木場さんはいつもイベント中の写真を撮って、あとで送ってくれるという気遣いの人なのだ。木場さんの『怪異をつくる』は名著なのでみんな読もう。あとはXで声をかけてくださった素敵カップルさんとか、去年の夏のイベントをきっかけにホラー大好きになったという若い男性とか。いい出会いがたくさんあって、対面イベントは大変だし、大阪開催は心細さもあったけど、結果的にはやってすごくよかったという。幸せな一日でありました。

会場から撤収して深津さん、最東さん、編集Aさんの4人で打ち上げ。近くのお好み焼き居酒屋でお好み焼きなどを食べながらあれこれと盛り上がる。怪談の世界の話をあれこれと聞いて、近いようで出版とは遠い世界なので面白く聞いた。インバウンド需要が多いのか、お客さんはほとんど外国の方。で最東さんがすごく怖い話があるというので、5時半からそれを聞き始める。かなり長い尺の話なのだが、すべてのエピソードが繋がっているので長いにはわけがある。お好み焼き屋を出て(6時半から予約客が入っているらしい)ハイボール99円という激安居酒屋に場所を移して怪談続き。証拠写真もある生々しい話で、ずっしりと重たい気持ちになった。うーんむ。というわけで結局、イベント中もイベント後も怪談をしていたのでした。楽しかった!

最東さんとは路上で別れ、3人で新大阪方面へ。週末夜の心斎橋、こんなに混んでいるのか。しかもほとんどが外国人観光客。わたしが関西に住んでいたのはもう15年も前なので、すっかり様変わりしていても当然なのだが。梅田に用事があるというAさんとはメトロ内で、深津さんとは新大阪駅で別れて、わたしは家へのお土産あれこれ買う。堺名物のけし餅や千枚漬けなど。帰りの新幹線が8時半。これまた本も読まずに寝る。大人になるとあんまり移動中本が読めないなあ。疲れて寝ちゃうんだよね。東京駅から池袋経由して帰宅。さすがに夜中近いから電車もあまり混んでおらず。YouTubeで平山夢明さんの「シネマdeシネマ」聴いていたら、のっけから「朝宮運河は運ちゃん」などと自分の名前が出てきてびっくらこいた。

お風呂入っていろいろ片づけして寝たら2時。いろいろぎゅっと凝縮されて大変な週末だったが楽しかったですよ。加山雄三ばりにあっちこっちに感謝。



2026年4月6日月曜日

怪老人日乗:4月6日(月)

月曜日は生首ゼリー、火曜日は生首スープ、水曜日は生首踊りー。というわけでですね、新しい一週間が始まっちゃったわよ。始まるとこれがもう早いんだ、終わるのが。今週は取材が1つ、イベントが1つ、打ち合わせが1つ、あと締め切りがいくつか。そんなわけだからアッという間に来週でありましょう。ほほほ。

最近の出来事を書く。思い出せないから遡って書く。まず今日。今この時点。ブログを書いております。そりゃそうだ。そのちょっと前はどうだ。ええとねえ、今の朝ドラは見てないんですよ。というかもともと見る習慣がなくて、たまたまやなせたかしとか小泉八雲とか、気になる題材が放送されたから最近見ていただけで、ドラマをそんなに見ない人なのです。というわけで朝ドラも見ずに過ごしている。

朝3時にむっくりと起きた。本当は金曜いっぱいという編集的な作業があり、それは裏を返せば月曜の朝イチなわけで、早くに起きればなんとかなると思いつつ昨日は0時に寝たのである。明日のおれよ、頼むぜと思いながら。結構眠ったなあと思って目を覚ますと、幸いにも3時だった。そこからせっせと机に向かい、あれこれの作業を終わらせて入稿用のフォルダに原稿をアップロードしたのが6時。間に合ってよかった。1時間だけ追加で寝る。

というわけで今日も仮眠してしまいそうだけど、その前にいくつかやることがあるので、これからやります。昨日のこともふり返ると、朝5時くらいからずっと原稿書き。200数十枚ある原稿、やっと終わりが見えてきた。子供をムエタイ道場に送り、行ってみたら今日はお休みで、なんのこっちゃと言いながら帰宅して、お昼を食べてとうとう原稿最後まで到達。ほっとしてメール送る。締め切りにはちょっと遅れたがなんとか間に合った(矛盾)。

その前の日は土曜日。4月4日は朝の3時に起きて原稿、今日で50枚くらい書かないとまずい。というわけで朝からがりがりと原稿を書き進める。さすがに手が疲れてきたのう。で10時くらいになってイベントの準備。この日は倉野憲比古さんの『ナッハツェーラーの城』刊行記念イベントのゲストに呼んでいただいたのである。あれこれ本をカバンに詰めて着替えして(Tシャツはこの日のために下ろしたドグラ・マグラ)芳林堂書店高田店へ。お昼食べる間がなかったので新宿駅の駅ナカコンビ二で買う。なんで新宿駅に行ったのかといえば、降り損ねてしまったからだ。池袋から高田馬場駅は2つしかなく、歩こうと思えば歩けるくらいの距離で、それなのにいつももっと遠い気がして油断してしまう。

芳林堂の8階イベントスペースの楽屋で倉野さん、中央公論のNさん、芳林堂書店山本店長らとご挨拶。倉野さんがサインを入れているかたわら、サンドイッチを食べる。飛鳥部勝則さん、稲羽白菟さん、積木鏡介さんなどが陣中見舞いにやってきて、楽屋はとても豪華なことに。会場も40人ほど入って盛況という感じであった。

トークは『ナッハツェーラーの城』のなりたちとか、4大奇書の話とかをあれこれ。倉野さんが主に話す日なので、私は比較的気が楽である。会場のお客さんにアンケートで手をあげてもらったりして(4大奇書をすべて読んでる人が半数ほどいて、なかなかすごい会場だった)トークを進行する。質疑応答もどんどん手が上がったし、いいイベントだったのではないでしょうか。1時間ジャストで終了。

そこからサインタイム、といっても私は新刊がないから気が楽だ。席に行っておなじみの方々とお話しする。応援にきていた倉野家の方々ともご挨拶できました。時々呼ばれてサインをしにいく。結局『日本ホラー小説史』15冊ほど会場で売れて、よかったよかった。「持っているけどサイン用に2冊目」と買ってくださる方もいて、うーん、感謝しかありませぬ。よく来てくださる方々ともご挨拶できて、イベントっていいねえ、と思ったのでした。お土産もいろいろ、ありがたい。

で記念写真撮って撤収。今日は『ナッハツェーラーの城』に出てくる「荒川さん」も来ていたので、作中人物3人で並んで写真を撮るべきだった、とあとで気づきました。芳林堂を辞して倉野さんと中公の編集Nさんとルノアールで軽くお茶休憩。倉野さんの次回作の話などをゆるゆるとして、帰途についたら雨。家族は高尾山に登ってきたらしく、その足で集合して近所の銭湯。お夕飯も外で食べて帰る。雨が降っていたけど、イベント成功でよかったです。というわけでどっと疲れて寝たいのだけど、そうもいかず深夜まで原稿書き。ひー。






2026年4月3日金曜日

怪老人日乗:4月3日(金)

キーーンと金曜日。いやあ、もう3日かあ。今年も大してお花見はせず、いや、すごく早くいって3分咲きくらいの桜は見たか。あと飯田橋に仕事に行くと結構桜が見られるから、それでOKということにしておきましょう。

それでですね、原稿を黙々とやっておられる。おられるせいで他の仕事が滞留、うーん、困ったことである。あれこれお返事もせねばいかんのだが。まあ今日でその大きな仕事が終わるんだけど、土曜は土曜でトークイベントがあるし、日曜は日曜で別の締め切りがあるしなあ。まなんとかなるでしょ。

そうそう、今年はきちんと動画をやろうと思っているのです。出版業界先行き不安で、既存の媒体に頼っているだけでは沈むのみ。自力で動けるところは動けないと、お尻がまるだしの猿のような案配になる。どんな案配なんだ。いい案配だ。それでですね、これまでは不定期にぼんやりした動画をアップしていたが、これからはきちんと定期配信で、フォーマットも固めてやろうとラジオのようにやろうと思っています。家だとこそこそ撮る感じになるから、どっかレンタルルームで撮ろうかなあ。1年やってみてきつくなったらやめるけど、今年はそんな感じで思っているところ。1000南無ワニも完結するしね。

最近の面白いこと。うーん、そうねえ。指先に焼き芋を刺しまして、そのまま歩いておりますと、おまわりさんに止められましたので、「これは焼き物です」と言ったら「ははー、国宝ですかあ」と言って拝んでおりました。そんな日もあった。

何かいいニュースはなかったかなあ。あ、そうそう。全然いいニュースじゃないけど昨日は髪の毛を染めてきた。染めるといっても黒染めである。私は前髪だけ白くなるたちで、放っておくと「美味しんぼ」の海原雄山みたいになるんですよ。味の分からない海原先生はなんかへんな感じであるので、染めています。わたしは黙っていると非常に偏屈な爺みたいな顔なので、なるべくそう見られないように、ライトにライトにサラダ油のように生きているのです。えへっえへっ。

2026年3月29日日曜日

怪老人日乗:3月29日(日)

頭脳警察聴きながら仕事。うーん、外は天気がいい。遊びに行きたいものであるが、土日に遊びに行かなくなって久しい。考えてみりゃライターになったばかりの時期は暇だったなあ。仕事が増えているので仕方ないのだが。ものすごく書くのが早かったら遊びに行けるんだけどねえ。

といきなり切なげなことを書いてしまったが、わたしは別に切ない人間ではないのである。切ないといえば乙一だが、私は切なくないの名手というか、デリカシーのなさの巨匠というか、繊細さを路傍に忘れてきてそのまま旅に出たよな案配なので、でろりでろりと溶解しながら今日も元気。

さて仕事が少しずつ先まで入る。昨日は6月のイベントが決まった。まだ先やんけと思っているとすぐ6月になるんだろうなあ。びびびのび。しかしイベントに出まくると希少価値みたいなものは減じてくるので、よほど面白いことを言わないといけない。言うぞ面白いことを。くわっくわっくわ。「徳川家康の正体は徳川家康です」。くわっくわっくわ。

そういうわけで忙しすぎて脳髄が割れてきたのだが、3月末日までに大きな締め切りがあり、230枚くらい書かないといけない。まだ全然書けてない。マッドブッチャーだ。その他にもアンソロジーとかこのホラ2026のアンケート回答とか。うーんむ。寝ないと間に合うと人はいうが、眠いのであるしねえ。さらりとした梅酒のようにさらりさらりと仕事したいものである。

あ、昨日はちょっとだけ近所に外出したのだ。家族の用事だが天気がよくてよかったですね。映画観たいねえ。いきなり観るかなあ、すべてを放擲して。

2026年3月27日金曜日

怪老人日乗:3月27日(金)

おおおお。と叫んでみました。今夜中の1時であります。いやあ今日もとびっきり目玉が飛び出したよね。ごろんごろん。私の名前は宇宙人です。というわけで日記などを付けてみるのだが、昨日はですね、つまり木曜日のことですけれども、朝から終日原稿書き。といっても時評の締め切りだったのでそれをやる。午後までかかってなんとか完成、3時に送稿。そっから大慌てで準備して、ってそこまで慌てることもなかったか、でもまあなんとかかんとか都心に出まして、帝国ホテルにて光文三賞(日本ミステリー文学大賞、日本ミステリー文学新人賞、鶴屋南北賞)の授賞式&パーティへ。この賞の授賞式に行くのは初めてだったのですが、京極夏彦さんが受賞されたというのでお祝いに行きました。

京極さんとはあちこちでご一緒しておりまして、最近だと私がXに書いているワニの絵をなぜかずっと応援してくださっていて、今日もご挨拶に行ったら「終わっちゃうのか、寂しいなあ」と言ってくれたのでした。京極さんは今日お誕生日。いつまでもお元気で。

授賞式では久しぶりにお会いする方も多く、なんだか懐かしくて良かったです。昔はこういう場が苦手でしたが、だんだんと回数を重ねるうちにお知り合いが増え、アウェイが徐々にホームになって行く感がありまして、千里の一は一歩から薬局、三千里薬局と思いますね。知ってる?三千里薬局。福澤徹三さんとも久しぶりにお話しできました。かっこいいなあ、相変わらず。あと井上雅彦さん、黒史郎さん、児嶋都さんなどなど。やっぱり『幽』とかホラー関係の人がいるとホッとします。倉野憲比古さんと若林踏さんを引き合わせたりも。二次会もあるようでしたが仕事あるので21時前に帰宅。

でお風呂に入って今にいたるというわけ。うーん、明日も朝から出先で仕事だけど、なんとか原稿進めねばと思って起きてまんじゅうを3つ食べたところである。いいのかなー。コーヒーもがぶがぶ飲む。しかしねえ、ホテルでやる立食パーティというのは贅沢なもので、フードロスも出るし、お金かかってるなあと思うのだが、世の中がここまで世界規模で混乱してくるとこういう機会も減っていくのではないか。今日も「こんなパーティ最後かもしれませんねえ」なんて話を冗談めかしてしましたが、いやまじでそうならなきゃいいけどね。色々物資が不足してきたら当然出版業界だって影響を受けるだろうし。とっととイラン情勢が収まってくれないことには、おちおち本を書いたり読んだりもできないわけである。

2026年3月25日水曜日

怪老人日乗:3月25日(水)

昨日は疲れて比較的早めに就眠。疲れていると「今日は寝てもいいや」という気持ちになるのでまだまだである。20世紀最大の神秘思想家のひとりG・I・グルジェフは、雨の中へとへとに疲れて帰ってきたところで、もう一度「よっしゃ」とがんばって遠出しなさい、それが「超努力」であり、人間の常識を超える行為なのだというようなことを言っている。それって単なるパワハラやんけと思うのだが(実際グルジェフ思想にはそういう危うさがあるのは否めない)でも私はあまりに「超惰性」で生きているので、ちょっとは超努力をしたほうがいいような気もするのだ。


さて昨日はそんなわけで比較的早くに休んだので、今日はどどどとブックライティングの仕事。一日50枚くらい書かないと間に合わない計算で、音楽をずっと流しぱなしでやる。作業中の音楽というのは気にならないものがよくて、よく流しているのはマイブラのファースト。周囲の雑念を消してくれるのでとても合っているが、そのせいでマイブラといえば仕事場の音楽というイメージが染みついてしまった。あとはスレイヤーなどのスラッシュメタルも仕事には適している。つまり「壁」みたいな音圧の曲の方が、環境音に近いので邪魔にならないということだろうか。たのしげな音楽(大好きなTレックスなど)は心がわくわくしてしまうので作業向きではない。

桜はそろそろ咲いてきたようで、飯田橋ではほとんど満開の木もあったくらいである。お花見はこの週末、3分咲きくらいのを見たけれども、今週はあと出かける用事もなくずっとこもって仕事だから、きちんとしたお花見はなしかな。窓の外から桜の木でも見えればいいのだが、そんな素敵な環境には住んでいない。隣家の屋根が見える。

そうそう、そろそろイベントが近い。4月は3週連続でイベントがあるので喋ることをまとめておかないといけない。しかしあちこちでイベントをさせてもらっているが、金銭的には見合うものではなく、メディア出演や取材もそうだけれども、プロモーションの意味が大きい。だからプロモーションだけしても本が売れないと意味がないので、本よ売れてくれ、波よ聞いてくれと思うのであった。一番いいのは出版社ががんがん宣伝してくれることだが、そのような便利な時代ではないので、書き手が自力でセールストークをしないといけない。いいのか悪いのか。私はそういうの苦手ではないが、苦手な人だっているだろう。いずれにせよ厳しい時代であり、とっととワニ絵師として遠い異国でブレイクするしかない。

2026年3月24日火曜日

怪老人日乗:3月24日(火)

朝の『ばけばけ』で小泉八雲死去。あと3回あるけどそれはセツさん(作中だとおトキさん)のその後をやるのかな。小泉セツは何歳まで生きたんだろうと思って書庫の別冊太陽『小泉八雲』引っ張り出してきて読む。それによると昭和7年までご存命だったようだ。スマホで検索すれば一発なのだが、本で分かるならわざわざスマホで調べるまでもアルマイト弁当。

ええとですね、今日は何をしていたかなあ。アイスクリームパラダイスで踊り回っていたのかなあ。アイスクリームパラダイスって曲が昔教育テレビで流れていたのだけど、そんなことを覚えている人は誰もいない。皆無だ。なのだがわたしは覚えているよ。学校を風邪で休んだ日は普段みない教育テレビを見られるのであったが、その日に見たような記憶がある。アイスクリームパラダイス。

それはともかく日記をつけないことには、トンカチで頭を叩かれるではないか。昨日はそんなわけで原稿作業なのだが、なかなかこれが難儀で進まず。うーんむと唸ってしまう。今日は某月刊誌の校了作業で一日外。帰宅してお夕飯、終業式だったのでハンバーグであった。


2026年3月23日月曜日

怪老人日乗:3月23日(月)

さて心が晴れ晴れである。昨日は深夜2時まで原稿をやり、朝起きてその続きをやって書評1本送った。これにて細かい仕事はほとんど終わり(あとはこのホラのアンケート回答と好書好日の時評。まあどっちも大変か)。残りの3月は大きな仕事に時間を使いたいと思っております。アンソロジーとかブックライティングの仕事とか。こんなことを書いてもこのブログを読んでいるのは世界に数人なので、仕事関係の人に伝わることはないのだが、まあ何でもいいけど書いておこう。三上寛ではないけれども「何でもいいからさらけだーせー」なのである。

で。昨日はねえ、あたしねえ、ご近所さんとお花見にいったのよお。ご近所さんというのはよく遊ぶ元ご近所さんで、今は家が離れてしまったが定期的に家族ぐるみで遊んでいるのである。お花見をしましょうということになって石神井公園に集まる。まだ桜は3分咲き。でもおかげで花見客はかぎりなくゼロに近い猿がいるだけで、広い公園をほぼ独占状態であった。駅でおべんとなど買っていて夜桜見物。ほとんどの時間、子供たちと鬼ごっこをしていましたので、疲れましたが楽しかったです。居酒屋に寄ってごはんを食べて解散。そんで寝ないで2時までがんばったので、「がんばった大臣」と呼ばれてもいいのではないだろうか。駄目だろか。

今日も焼き芋を食べてしまった……。焼き芋大臣……。

2026年3月22日日曜日

怪老人日乗:3月22日(日)

にっこにこの日曜日である。脳天が溶ける。脳の割れ目ことブレインヴァレーからわらべが出てくる。チューペットを食べている。というわけで、今日は真面目に生きております。昨日は書評1つあらかた書き、最後の段落で詰まった脳が左右に割れた。今日はもうひとつの書評を下書きからラフ書きまで進めて、がりがりやったら大体できたけど仕上げるのが大変で脳が前後に割れた。合計いくつに割れたでしょう(日能研)。

ええとですね、小さいあと1つか2つで今月終わりなので、あとはアンソロジーとかブックライティングとかやたらに手間と時間のかかるものを本気でやらないといけないんだけど、気づいたら今月あと8日くらいしかなくて、びっくり寿司である。どうなってるんだ。間に合うのか。手足をフル稼働して働くしかないのか。まあ今月は人と会ったりイベントに出たりするのがもうないので、まじめにやればなんとかなるべえ。ブックライティングの仕事は打ち合わせでコーヒーとあんみつをご馳走してもらったので、いっそう真面目にやらないといけないのだった。一宿一飯の恩義というのがある(食べてない仕事もちゃんとやりますけど)。

しかし最近は出版関係、景気の悪い話が多いですね。中東の情勢で社会全体が先行き不透明なので、そりゃ活字の世界もそうなるわなあという感じだけど、紙が値上がりして、いっそう本も値上がりするらしい。そうなると本がますます売れなくなるわけで、ぶっ飛びバードである。チロリン村の和尚である。そんな中本を出すのも大変だろうと思われるし、いやあ、1月のうちに『日本ホラー小説史』を出しておけてよかったなと思う。そこそこ部数も刷ってもらえたのでよほど大ヒットしないかぎり「増刷したいけど諸物価高騰で難しい」ということもないだろう。まあそうなったらなったで嬉しいですが。いよいよ多角経営で生きていくしかないですね。まずは果物屋さんになろう。スーパーでバナナを買ってきて「スーパーバナナ」と題して売ろう。猿の親子が買いに来る。

2026年3月21日土曜日

怪老人日乗:3月21日(土)

昨日は祝日であったが、いまひとつ仕事進まず。何をしていたのだっけ。ああ思い出した。昨日も書いた通りだが、子供とコロコロコミックを買いに行ったのだった。そうしたら頭も身体もコロコロになってしまい、坂道を転がっていったのだ。そのまま戻ってこないのだ。恐怖恐怖。

今日はがんばるぞ、と思いつつ日記をつけているのであるが、今日は変な夢を見た。恒川光太郎さんの家に遊びに行ったのである。

恒川さんとは面識はあるが、当然お宅にお邪魔したことはない。しかし夢の中では何人かで遊びに行くような仲になっていて、恒川さんの住んでいる一軒家にお邪魔する。夕方のような昼ようなぼんやりと暗い時間帯で、窓を開けるとそこにはトマトの大きな家庭菜園があり、ここから収穫して食べているのだという。一緒に遊びに行ったのは何度か仕事をしたことのあるカメラマンさんとか編集さんなどが中心で、総勢10人近くいたような。どうにも仕事絡みの意識が夢に現れたのではないかと思われるけれども、一軒家の外は空港になっていて、夢の後半ではそこを歩いていくと、やくざのようなスーツの男がもう一人のスーツの男と激しく陰惨な喧嘩をくり広げており、倒れた男が思いっきり手ひどく頭を蹴られていて、「本気の喧嘩ってあんなに頭を蹴るんだ」とショックを受けた。その男はまわりにも手当たり次第に言いがかりをつけて、おばあさんなどにも暴力を振るっていた。そのまま空港の廊下を通っていくと大きなホールというか倉庫というか、そういう建物があって、そこに入るには荷物を預けないといけないとか言われて、ハンガーにかけた上着を持ってそこに並ぶが(どうもこの上着は恒川さんの家に行った時に脱いだものらしかった)、見るといつの間にか上着が消えてシャツだけになっており、だったら預けるまでもないやと思って、列から離れた。

そのような長い夢を(おそらく断片的な夢がひと続きになって思えたのだろうが)見たわけで、あまり私は夢を見ないのでなんだか変な気持ちである。仕事方面で疲れているのでしょうかね。

土日でどれだけ作業が進められるか。ところで先日ある人に仕事でメールを送ったところ、「土曜は休んでいるのでメールを送らないでほしい」と言われて、そんなものかと思った。別に返信してくれなくてもいいのだけどなあ、確認は月曜になってからでもいいのになあと思うのだが、土日は休むと決めている人はメールが届くこと自体がいやなのかもしれない。こちらは「月曜までに原稿を」と言われることが多く、土日もずっと仕事をしているのでそういう意識が薄かったのかもしれないが、なんだか釈然としない。釈然和尚の辻説法である。南無阿弥陀。